特定非営利活動法人

スピリチュアルケアの提供を保障する日本の社会の実現を目指します。

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所長 W・キッペスのBlog

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研修会に参加しての感想

5日間研修会に参加しての感想(2007年〜2008年)


2008年
★熊本 イエズスの聖心病院(2008年12月15日〜19日)

■科目U:聖職者(各自フリー科目)

 一度目の「人間関係とコミュニケーション・傾聴」研修で(2007年3月)では気付けなかったこと、得られなかったものを今回はたくさんいただけました。又自分自身の内面も変化していることを知りました。なかなか持てなかった相手の「人間としての尊厳」を認めていくことが出来るようになり、自分本位な考えから、関係の中で生かされている自分をみつけることが出来るようになってきました。たてまえの中で苦しんでいた自分がこの研修の中では、又ゲストさんの前では本音をさらけ出すことが出来、力の抜けた心地良さを感じていました。
地元では不可能なホスピス病棟の訪問をすることが出来ました。一番感じたことはGさんが一生懸命生きていらっしゃるということです。最初の方は病名も理解されてなく大変前向きでした。2日目の方は初めは落ち着いてゆっくりとお話ししていたのですが、だんだんと早口になり、苦しい呼吸であるにもかかわらず、涙をボロボロ流しながらしゃべり続けました。淋しさ、苦しさ、生きたいという思いを見たような気がします。今回の研修を通し、自分の生きる意味、目標を明確にすることが出来ました。(S.S.さん)

★神戸学生青年センター(2008年11月21日〜11月23日)

■科目U:価値観の明確化

 価値観の明確化について、基本的な知識、そして自分自身の価値観を点検・作り上げることが出来、そして同じ学びをしている友と出会えて収穫であった。
 科目Tは末受講なので予習での提出レポート作成は今からみてかなり自己流のものであった。講習中での課題実践のうちに気づき、記述する際修正していった。他のメンバーから戴いたものと共に、多いものから数え上げる作業において分散する傾向が出たので、同じ内容はまとめるようにした。
レベルの異なる7名の研修生を教え導いて下さった講師の労を感じた。私がその立場なら投げ出してしまったかもしれない。体憩時間お隣さんとのおしゃべりが授業本番で、その続きを皆の前でするよう求められた。自宅での家内との会話は要件中心なので、私にとっては数日分に相当するような分量を語る思いではあったが、かなり核心に入った話をする体験ができた。会社人間を卒業して家内との協同作業を作り上げていくにあたり、いい指針になった。受講してない彼女の価値観をどう確認していくか。あのガンジーの家庭での生活。奥さんとの対応を見て育った息子が、父親の宗教と敵対する側に入ってしまったエピソードが紹介された。定年退職して時間が自由になった今、妻との過ごし方は大切だ。
 この感想文を作成している12月の初めの雨の降った日、外出中に靴底を滑らせて転倒し左足くるぶしを骨折してしまった。今ギブス装着のため脹れが治まるのを待機している。幸い寝たきりではないが、左足に加重がからないよう室内を伝い歩きしている。物を運ぶことはできない。生活がガラリと変わった。健康のときでも時間やりくりしていたのをどう処埋したらいいのかパニック寸前であった。価値観は変わっていく。今置かれた状況でのそれは何だろう。頭に浮かべるだけでなく言葉に表現してみよう。そして思いどおりに成し遂げた時、自分をほめることにしている。おかげで家内に怒りを投げつけたり、不安やうつ状態にならず気持ちは安定している。これは神戸での学びの成果である。
 (H.S.さん)

★福岡 サンパウロ福岡宣教センター(2008年10月4日〜10月8日)

■科目T:人間関係とコミュニケーション・傾聴

 研修会を受けて、普段自分がどれだけ言葉を大切にしていなかったか知りました。自分はコミュニケーションが下手だから、人間関係がうまくいかない時がある。そう思っていましたが、そうではなかったことを発見できました。自分とちゃんと向き合い、自分を知り、自分の窓を開け放つことで、人とコミュニケーションを取れる自分があることを感じる事ができたのは、私の人生に大きな変化をもたらしました。
いくつもの体を使ったワークや、先生方の心のこもった教えの数々は、人と人の心の交流の素晴らしさ、傾聴の本当の意味を学ばせてくださいました。
 また研修生の皆様との出会いや、共にワークや学びを分かち合えたことは本当に素敵な経験でした。互いを知り認め合うことで、とても温かい気持ちになり、感動が湧き上がりました。感謝しています。
 これからもパストラルカウンセラーを目指して研修を重ね、自分自身の全霊で患者さんの思い・叫び・怒り・喜び・悲しみなどに寄り添えるようなりたいです。そしてパストラルケアの大切さ、必要性を広められる役割を果たせるよう、勉強していきたいです。
〔T.Y.さん〕
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 まず初めに5日間に及ぶ研修を有意義なものとしてくださった中島先生ならびにキッペス先生、そしてそこに居てくださった方々に心を込めて感謝いたします。本当にありがとうございました。そして5日間を共に学び、共に分かち合うことのできた、私自身と12人の仲間に心を込めて「よく頑張ったね。全員が素敵でした。全員を尊敬します」とほめてあげたいと思います。
 私は何よりも、この研修で「自分とは、かけがえのない価値ある存在」と確信できた事が大きな収穫でした。研修初日の私は自己評価が低く「自分には今、目の前にいる人に手をさしのべることなどできない」と自信をなくしていました。なぜならば私の職業であったソーシャルワーカーとして、これまでに接してきた高齢者や障害者の方々に対し常に「自分には何かが足りない」という無力感を持ってきたからです。しかし現在私は「誰が何と言おうと自分には価値がある」「今そのままの自分で充分に価値がある」という肯定感を得ることができました。自分自身がいとおしい存在であり、特別で大切な存在であると思えることは、すべての人が等しく大切で尊い価値のある命なのだ、という深い認識と真の理解につながると思います。「私は私で大丈夫。あなたはあなたで大丈夫。今このままで大丈夫」と確信できるようになった私。5日間、価値ある
 13人の研修生が共に学べたことで、私は現在確実に良い方向に変わりつつある自分を感じます。今ここに生きて感想文を書いている私は、研修前の私とは違うと自信を持って断言できます。今回の研修テーマの一つは「傾聴」でした。「傾聴」とはとても、とても難しいことです。私は今後、私と接する人々が「どのように感じ、何を叫び、何を求めているのか」そしてその人々と接している私が、その時に「どのように感じ、何を考え、何ができるのか」を意識して生活することを課題とします。また、研修の中で「心で聴き、心で見なければ大切なことは聴けないし、見えない。肝心なことは耳に聴こえないし、目にも見えない」という学びもありました。
 私はさらに自分が以下の4つのどの部分において、さまざまな生活場面で直面なする事象について「聴いたり、見たり、感じたりしているか」を意識して生活することをもう一つの課題とします。4つの部分とはすなわち「身体的」「知的」「心理(精神)的」「スピリチュアル的」な部分ということです。スピリチュアルについては、今回の研修で初めて学ばせていただきました。いつの日にかパストラルケア(スピリチュアルケア)を実践きる自分になれることを願って、これからも研修を重ねていきたいです。
〔N.S.さん〕

★姫路 聖マリア病院(2008年9月29日〜10月3日)

■科目Y:哲学的人間論

 聖堂から放物線を描くように伸びる竹を眺めていると、真直ぐに歩んでいるのに歪んでいる。気づいてもらい手当てしてもらわないとやがて重みで倒れてしまう、まるで人の人生のように感じられた。そんな気づきを持って初日の研修がスタートしました。
 5日間を通してスピリチュアルな感性を意識することや、講義の中で新鮮な気づきが沢山あったが、これまで何度となく学んできたはずのものばかりなのである。
 本物を生きる核から生きさせてもらうには、単純な当たり前のことで在っても、そう在ることヘの不思議がる心、感性が重要である。パストラルケアを学んでいる者にとって耳慣れたことなのに、相も変わらず涼しく無関心でいる自分を生きてきたことを味わう思いでした。
 訪問では初日に出会ったゲストから、翌目「もう訪問は受けたくない」と拒否か伝えられた。初めての経験でした。スピリチュアルケアの“核から生きることを援助させてのもらう”という定義を自分自身に刻んでいるはずなのに、ジワジワとショックを感じ、居たたまれない気持ちを味わいました。
 シスターから客観的に私自身の良さや個性を伝えてもらい、「自分らしく」ゲストの傍にいるようアドバイスを受け、訪問に向かった。ゲストとの出会いの中でリラックスする自分で在りながらもゲストの声を聴かせて頂けた。あの痛みが無ければ頂けなかったアドバイスであり、それが無ければ決してゲストには言えなかったであろう問い。伝えたことで互いに開放された、それは尊い体験として私の中に刻まれました。
 『ケアを受けている私は、あなたが私を癒せないことを知っています。私は、あなたが一生懸命に私を理解しようとする、その姿に癒されるのです』 シスターに教えて頂いた大切なことです。最終目に同じ窓から“竹”を見て。日が当たらない時の成長では前に後ろに歪んでいるが、屋根をこえ日を浴びたところからは真直ぐに伸び誇らしげに風に揺れていた。きっと「太陽の呼びかけを信じて必死に伸びて行ったのだろう」そう思いました。命の成長は人であれ、植物であれよく似ているのだな・・と感慨深い5日間を過ごさせて頂きました。(M.Mさん)
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 研修会に出席できるのは半年ぶりとなった。私にとってこの時間的空白は自分の中で何も変化していないと思っていたが、講義を受け、事実はスピリチュアルケアの勉強から離れているうちに自分自身がスピリチュアルの目を持ち、暮らしていなかったことに気付かされた。
 仕事、食事、人間関係、家族など、目で見ている現実は私の考え、感じている世界ですが、もう一つ目に見えない現実があります。それは(仕事、食事、人間関係、家族)私を生かす意味を持ち、私を生かす世界があって初めて自分が生かされているという事実。目に見えることだけを見ていては何も見えません。そしてまた、私が私の核を生きようとすればするほど、苦しめる存在でもあり、その中で生き、生かされている事実も見えないものを見て初めて自分の問題として見えてくるとおもいました。
目で見ている現実(生きている)、目に見えない現実(生かされている)の両方を同じ次元で体験している事実。この事を自分が気付き自分で生き、その意味を考えていなければ自分自身を理解することができず、相手も生かせないということが理解できた。そして、スピリチュアルな次元を自分で味わうことが、スピリチュアルケアには欠かすことができないことであり、相手を生かすことだということに気付き学びが深くなった。(O.Tさん)

★東京 ニコラ・バレ(2008年5月31日〜6月2日)

■科目U 価値観の明確化

 ☆ 研修に向けて、ほんものの自分を意識するところからのスタートでした。毎日何気なく行っていたことや、使っていた言葉に意識を向けたり課題を持つことで、緊張したり、わくわくとした気持ちになりました。
 今は一つの関わりの中に自分が少しづつ表現されていることを感じています。
 自分にとって大切なものが何かを改めて考えることによって、ほんものの自分がほんものの他者と関わり、ほんものの関わりが始まることを感じています。
 自分に向き合うということは、私にとっては困難なことがありました。知らなかった自分や他者、知りたくなかった自分や他者に向き合うことは、苦しみもありました。その時に素直に心を開くこと、自分を表すことの恵みを頂き、研修後にも再び感じています。
 学ぶことによって、自分の中に種を植えました。水をやり、陽をあてて、心を向けて育ててゆきます。行きづまり、悲しさ、さびしさの時、支えて下さる先生、シスター、スタッフ皆様、仲間の皆様に本当に感謝です。再会し、喜びを分かち合い、学ぶことが楽しみです。一歩一歩進んでゆきます。次回の研修に向けて、学び続けて参ります。 (H.M.さん)
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 日常生活を抱えたままの状況の中で3日間の研修を受けることは、正直言ってかなりハードでした。しかし、研修を終えた今、私の心と身体を満たしているこの喜びと平和はどこから来ているのかを、自分自身の深いところに問いかけています。
 この度の「科目U価値観の明確化」は、私の「命」に直結する内容だったのです。自分の価値観を明確にしてみると、自分の中にしっかりとした価値観が、どしりとあることに気付きました。それなのに自分の生活を振り返ると、あまりにも時間に追われ、その価値観とは無関係のように走り回って、仕事の処理に集中している自分がありました。キッペス先生はおっしゃいました、「時間は価値観を生きるためにあるのです」と。その価値観を自分に与えられた時間の中で、育て、生きることによって本来(本当)の自分になれるのだろうと理解しました。
 今の私には、自分の生活の見直しが必要です。キッペス先生はご自分の価値観を明確にした後、時間を無駄にしていた《買い物》をやめたとおっしゃっておられましたが、私も生活の見直しにより、価値観を萎えさせている無駄を切り捨てる勇気を持たなければなりません。その切り捨てるべきものが何であるのか。もしかして、価値観から出た使命を生きる為の「疲れ」ではなく、単なる走り回りの疲労感を癒すための気分転換の時間を持つことで、その疲労をいっそう倍加してはいないか。祈りのうちに自分と向き合ってみます。 (O.T.さん)

★熊本 イエズスの聖心病院(2008年5月19日〜23日)

■科目:Xスピリチュアルケア
 ☆ 感謝のうちに。
 私は今神社の境内に居る。
 研修中出会ったホスピスのゲストの話に「神社へのお参り」「参道」という言葉が何度もあった。
 初夏の濃い緑。まっすぐに延びた参道、そして境内。この空気をゲストはどう感じておられたのだろう・・・。 風が少し強くなってきた。この風をゲストはどう感じておられたのだろう。何を思いながら、この参道を歩いておられたのだろう・・・。
 そして今ベッドの上で、何を思い巡らせておられるのだろうか。
 「ゲストの側に居るということ」― 今回の研修ではそのことを深く考えるきっかけを与えていただいた。
 参加者が少ないながら、開催して下さったセンターに心から感謝している。また盛先生やみこころ病院のスタッフの方々に、個性豊かな研修生皆さんに、そして五日間のこの時に、心から感謝。 (K.R.さん)
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 ☆ 私にとって、今回が初めてのホスピス研修でした。患者さんに面会させていただく前に必ず看護師さんが患者さんに許可を求めて下さいました。
 この病院が患者さんを大切にしておられることがわかりました。また、お話を聞かせて下さった方々が口々に「いい病院だ」と言っておられました。病院のスタッフの皆様やシスターS・Kさん達の日頃の努力のたまものと感じました。また、私達のために時間をさいて共にいさせて下さった方々のお話や毅然とされた態度、そういったものを私の心の宝物として、今後も勉強してゆきたいと思います。また共に学ばせていただいた研修生との交流も楽しいものでした。
 講師の盛先生も貴重なお話を有難うございました。最後にシスターS・Kさん、私たちが研修を受けられたのも皆様の御協力の結果と思います。有難うございました。 (Y.M.さん)

★鹿児島 ザビエル教会(2008年5月2日〜6日)

■科目:T人間関係とコミュニケーション、傾聴 
 ☆ 初めて5日間研修に参加しました。ボランティア・カウンセラーコースに進むかどうかまだ決めないでの一般参加でした。
 傾聴することの難しさを知りました。聞いているようで聞けていない。また、聞いたことを覚えていない。聞いた事に対して自分のなかで、反応がおこり、そこにとらわれていると話してくださったことが、自分の中に入ってこない。まさに黙想と同じで、次々といろんな雑念がおきてきます。自分をなかなか空に出来ない。自分のフィルターを通しているので相手の意図されたことと違う。
 訪問するには、攻撃への対応、ストロークなどの技術がある事を教えて頂きました。そして知識を積み、自分を客観的に見つめていくことが大切であると気づかせて頂きました。
 客観的にとは、今の自分の身体的、知的、心理、霊的状態を知り、また自分の習性を知りまた教えて頂き、自分の価値観を明確にしていく事でしょうか。
 訪問時には、自分の有り様が問われます。その時だけスピリチュアルな人にはなれないです。 日々の生活においてスピリチュアルな見方ができ、スピリチュアルな生き方ができるか日常の生き方が問われます。自分なりのスピリチュアルな生き方とは、価値観に基づく生き方、意識して生きているか、自分の使命って何だったろうか、日々に流されない生き方ではないでしょうか。
 最後に講師の先生が話されたなかで「患者さんと共にいることができる術を身につけるのが目的ですよ」と自分なりのフィルターで受け取らせて頂いたが、そうなれるように歩ませて頂きたい。 (N.M.さん)
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 ☆ 今回の研修は人間関係とコミュニケーション、傾聴でしたが、いかに人の言葉や話をちゃんと聞くことがむずかしいか体で感じました。
 少しの会話からでもその人が何を言いたくて、どう思い、感じているのかがもっととらえることが出来るように、自分自身を見つめなおしがんばっていきたいです。 (T.S.さん)

★慈生会病院(2008年4月30日〜5月4日)

■科目:Wスピリチュアルな痛み
 ☆ 研修を終え、貴重な学びをさせていただいたことに感謝しています。
 自分がスピリチュアルケアをできる人間になるために、まず自分の内面性を育てなければならない(でなければ相手の内面はわからない)。自分自身の存在に意識を向け、注意を払う責任をおう生活をする。そして自分なりに考え、より信頼できる人間になることが重要なのだと理解しました。そして、スピリチュアルケアとは、自分なりにできない状況の中で、その人がその人らしく生きるのを手伝わせてもらうこと、スピリチュアルな痛みは、自分自身の中心を自分らしく、本当の自分を生きられないことと理解しました。
 この学びの深い意味は患者さん訪問(初の)を通して、知ることとなりました。心の叫びとも言える患者さんのお話を聞きながら私は無力でした。無力でありつづけながら共に居させていただくことを学びました(自分も苦しみ、痛みをもつ者として)。同時に患者さんご自身が、内面の力は持ち続けていること、そして育て、希望を持っていることを知りました。
 スピリチュアルは変えられないもの、存在そのものであるということの意味を知りました。
 私の学びは始まったばかりですが、研修後の日々は自分自身の存在に意識を向け、注意を払うよう努めています。
 その日々は幸福感で一杯です。“自分らしく、本当の自分を生きること”を大切に新たな始まりを感じています。 (T.Y.さん)
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 ☆ キッペス神父様の指導により、受講生5名でスピリチュアルな痛みをテーマに教えていただいた。スピリチュアルケア誌39号にのせられた訪問記録を例として使用し、その中からG.とH.のスピリチュアルな痛みとパワーを書き出すワークをした。その中で、スピリチュアルな痛みの中にスピリチュアルなパワーがいっぱいある事を自分で見つけていけたが、それは私にとって一つの発見であった。それ以外でも、いろいろなワークで多くの気づきがあった。単に講義の中で教えてもらうのではなく、ワークの中で自分達で発見してゆくというのは、私達にとってより大きな力になったと思う。2日目から4日目まで、慈生会病院で実習したが、G.がご自分のスピリチュアルな痛みについて話をして下さるとき、それに動揺してしまい、きっちりと向かい会えない自分が居た。私は未だG.の苦しみに対し、自分が何の力にもなれないことの痛みにたえながら、じっとその場に居続けるだけの人格に成長できていないことを覚えた。毎日の講義終了後のミサで、私達がお話させていただいた方々のお名前をあげて、その方達に必要な助けを主が与えて下さるよう祈ることは、私自身にとっての癒しとなった。
 今回ゲストハウスで私を含め3名で合宿したが、いろいろな会話や、料理、掃除等も楽しい体験となった。また合宿しての研修があれば良いと思った。
 最後にキッペス神父様、慈生会病院のスタッフ、患者様、ベタニア修道女会の皆様、臨床パストラル教育研究センターのスタッフの方々、研修生の皆様、いい出会いをありがとうございました。 (Y.M.さん)

★聖テレジア病院(2008年2月11日〜15日)

☆ 初めて参加させて頂く5日間研修でした。開校式に病院理事の挨拶の中で‘窓が汚れている’と初日を迎える私達に申し訳なさそうに仰いました。講師は‘光があるから見える(汚れ)’。このやり取りが私の内面に“パストラルケアの学びの光が当り、私の中に何が見えてくるのだろう?”と大きな希望を生まれさせて下さいました。
 初めての病床訪問。痛みが表出するゲスト(患者さん)に寄添わせて頂くことで精一杯でしたが、ゲストの中に確かに存在する大いなる力を発見させていただけた事は、私にとってとても大きな恵でした。コインの表裏のように痛みの後ろに癒しがある。その存在に気付かせてもらう出逢いをさせて頂くことが出来ました。
 そして、自己の中に沈黙、静寂な時を持ち、内面を整えておかなければならない必要性も同時に味わわせていただき、日常の中ではよほど意識して相応しく心を保って居なければ本物の出逢いは出来ないのだな・・という事への気付きは、これからの私の歩みにとって大きな刺激となりました。
講義の中で説かれた「心理」と「スピリチュアル」の違いを理解する上で、ワーク(実習)や、講義中の比較対照練習などで、体験として明確に出来るチャンスがあれば、より助けになった様に感じられました。
 Individual Supervisionでの「分かち合い」の時間では、後半からセンターへの要望等々の知的な流れに移行してしまった事は残念なことでした。 本人の分かち合いを「場が違うのでは?」と思っても、分かち合いとして尊重するべきなのか?講師が何も云わないのだから従うべきなのか?と、結局何も言い出せないで居る自分を苦痛の中で味わったが、言い出さなかった責任を生きることも同時に学ばせていただく事も出来たのかもしれないと受け入れさせて頂けた。
 どの出逢いも尊く、これを出逢いを通して私自身の体験として‘癒された時、私は何に出逢ったのだろう?’と問いが生まれた。この問いを生きていくことが、これからの私の歩みになっていく大きな出逢いの5日間であり、皆様に心から感謝である。 (M.M.さん)

★聖母病院(2008年1月28日〜2月1日)

☆ この5日間沢山の事を学ばせて頂いたので、この中に書き尽す事は出来ないと思いますが、心の中に残った事を少し述べたいと思います。
 キッペス師が書かれていた本の中にも含まれていますが、「摂理を知る」「スピリチュアルなこと」「霊の区別」「スピリチュアルな欲求の識別」について普段意識もしないでいた事が自分の中で少しずつ深まっていったような気がします。あらためて確信したり、見つめる事が出来たと思います。
 最初この学びを始めた頃に比べると、その後の研修ごとに様々な変化が自分の中で起きて来たと思います。 「自分は今まで間違った意識を持っていたな」と、それに気付かせて頂けたという感謝の気持ちになります。 例えば、援助させて頂くのではなく、傍に居させていただき共に歩むのだと気がつきました。 それはとても有難いことでした。 無力な自分に何が出来るのか、という問いがいつも自分の中にあったからでした。許されるなら傍に居させて頂けて、共に歩ませて頂けるという喜びにも変わったからです。私のように至らない者であっても、このような役目が与えられる事があるという不思議な導きというものの存在を感じました。
 それから、“その人がその人らしく生きるように助けるのがスピリチュアル・ケアです”というスピリチュアル・ケアの真髄とも言える言葉が心の奥まで響いています。「そうだ。だから私はスピリチュアル・ケアを学びたかったんだ」と確信した一つの言葉でもありました。他にもいくつか感じた事がありますが、また機会がある時に致します。 (U.S.さん)


2007年
★聖母病院(2007年5月28日〜6月1日)

☆他者との関係の中で、固有名詞の自分が存在していていいのだ。自分がいるということを肯定できるのだと深く感じ取りました。
今回が研修6回目にあたり、自分の「人生の分かち合い」という発表をさせていただきました。グループの方に分かち合えるだけのものが伝えられただろうかと、心配です。分かち合うには自分というものをよく意識し、認識していなければ出来ないと思うし、認識した自分を相手に伝える勇気がいると思います。 まだ気付いていない自分があると知り、自分の未熟さを思わされます。
この経験はこれからの生き方や歩んでゆく方向を探りながら進んでいく方法を示唆してくれたように思います。そして、その時を待ちながら。 (O・M)

☆スピリチュアルケアをするために必要な研修の最終段階である第6回が終わり、よくここまで歩み続ける事が出来たと我ながら感心している。
3年前のオリエンテーションから研修を通して、自分をより深く知る、悟るための旅は、今回が一番きつかった。それは、スピリチュアルケアをする人間が、ケアを必要としている方をより深く理解することが出来るために、通らなければならない、プロセスでもあるように思いました。
私という人間の理解を深めるために(ケアを必要としている方のためにも)、人間の多角的で様々な面を理解する事、自分の無意識の部分を明確にする事が課題であり、闇を明確にすることが闇からの解放になる、と思いました。 無意識を意識化することで癒す、解放するということに違和感や抵抗を感じていましたが、これも必要なプロセスであると言う事を学ぶ事が出来ました。

未完了(闇)の事柄の5段階ということで、 批判的レベル・気付きのレベル・知的理解のレベル・感情認知のレベル・原因探求のレベル・深い気付きのレベルでは、悟りがあることもあるといわれたのですが感情認知のレベルでの自分が自己防衛をしてしまうということに非常に驚きを感じました。
しかしこれもまた、私自身をありのままに見る研修であり、事実を在るように見る悟り、深く感じる、あるがままに感じる様々な面があるということを気付くことが出来た研修でもありました。
重要な事は、「こう感じている自分とは何か、何故、こう感じているのかと言うことを見ていくことが哲学と生活を一体化していく事になる。経験を通して哲学をする事。」であると知るたいへん貴重な研修になりましたことを心から感謝しています。
研修中に感情的になる私を助けて下さった、そして黙って受け入れてくださった研修生の方々、国枝先生、シスター木澤に心から感謝致します。  (O・Y)


2006年
★聖テレジア病院 2006年6月13日〜6月17日

講義の中で学んだことは、外観・表面的なことにとらわれずに核を知って生きようとすることが大切だということです。また、学んだことではなく経験の中から自分で発見したことが力となるということもかみしめたいと思います。

自分の行動は自分で選び、その責任は自分でとること、疎外されること、異端者と言われることを恐れないことがスピリチュアルケアをする上で大切なことだというお話も心に残っています。

今回の研修中の患者さんの訪問で、共にいることで私の内面の力が引き出されるのを感じ、学び続ける勇気を頂きました。恵みと感じています。(E.M.さん)

★姫路聖マリア病院 2006年6月5日〜6月9日

病院の敷地内の、ゆたかに繁る新緑の木々から、初夏のさわやかな陽がこぼれる明るい姫路聖マリア病院で、初めての研修に参加しました。テーマは「心理学的傾聴」です。

交流分析のワークをとおして、今まで漠然と感じていた、自分の傾向や性格について、理論的に整理され、明確になり、自分についての理解を深めることができました。長所の発見や、聴くことのワークではスピリチュアルな耳をきたえること、真の会話をすることを学びました。初めてのゲスト訪問は本当に緊張しました。黙想の家から病室にむかう道すがら、初対面の方にお会いして、心の中に入らせていただくことを思い、事の重大さと、おそれを感じました。そしてゲストさんとお会いして、その方の世界に“どうぞ”と入れていただいたことを嬉しく思いました。記録検討会では、中島先生の“共に生きるものとしてそこに行けるとよい”という言葉が深く心に残っています。ゲストさんを訪れる時は、この言葉をいつも心に唱え、そして、初めての体験を胸に刻み、進んで行ければよいと思っています。実り豊かな研修を終えることができ、感謝申し上げます。(S.I.さん 女性)


2005年
★聖母病院 2005年5月27日〜5月31日

私がおこなってきたソーシャルワーカーの訪問よりも深いところに入らなくてはならないので戸惑った。

ソーシャルワーカーで望ましいとされている方法でも控えた方がよい場合があり、また、何気ない会話の中にスピリチュアリティを見出される方もいて、私にはそう思えないという場面が多かった。しかし、反復の重要性は再認識した。適切な反復によって会話を広げていくことの大切さ、難しさ等である。(K.M.さん 男性)

★慈生会病院 2005年4月26日〜4月30日

私にとって初めての研修で大変感動的な印象に残るものであった。内容は講義、フィッシュボーリング、患者訪問と検討会、二人組みになった相互評価、先輩研修生の「人生の分かち合い」等多彩で、密度も高く、飽きることなく今までの経験が活かされた研修方法という印象を受けた。また、この研修を通して研修生がお互いに理解と友情を育みえたことも嬉しかった。

この中で特に患者訪問は研修の中で圧巻と言うべきもっとも貴重な経験であった。事前に教えていただいたことは、患者が中心、話していただくのを待つ(沈黙の重要性)スピリチュアルペインを察知する、反復する、そして共感し分かち合うというものであった。

しかし最初、何をどう話せばよいのか、反復した後何もお話いただけない場合はお互い気まずいのではないか、その前に訪問を断られたら如何しようかという思いが先にたって、病室に向かう足取りは重かった。出来ればこのまま引き返したいという誘惑にとらわれた。しかし、終わってみると、患者との間に気持ちが通じ合い、そして、訪問を喜んでもらえたことが分かって、難しいけれど、この道を選んでよかったという思いで満たされた。

今後更なる自己研鑽を積み、もう一度患者の心の中に入り込み、患者の魂の痛みに触れて、多少なりともその痛みからの解放に役立てられたらという願いを新たにした。講義に関しては、キッペス先生の長年積み重ねた知識と情熱が溢れたものであった。スピリチュアルケアは単なる遊びでも趣味でもない真摯な姿勢で真剣に取り組むべきもので、常に品位をもってあたれという言葉が印象的で、先生のスピリチュアルに対する誇りと気迫を肌で感じることが出来た。努めてノートをとるようにしたが、そちらに注意が集中すると内容理解がおろそかになり、だからといってただ聞くのみだと終わった後に何も残らず、出来ればPC画面や講義内容を何らかのペーパーの形で頂けたら、尚よかったと思った。(S.O.さん 男性)

一日研修会に参加しての感想

2008年
★仙台一日研修会(2008年7月19日・20日・21日)

 「私が私でいること」を、自分が深く感じさせて頂いたことが、まず最初の感想です。そして、個人個人がこのスピリチュアルな研修を通して分かち合える空間を共有させて頂いたうれしさに一層感謝します。
 私は深く考えさせて頂いて、これからも時間のある限り学んで生かさせて頂ける努力を惜しまないことを「希望」します。
 ありがとうございます。
(Y.H.さん 自営 女性)
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 とても深く考えることができて良かった。また、3日目の実習も良かった。実際に体験してみると、頭で考えているのとは、また違った良さ(臨機応変)と大変さがある。
 懇親会も個別に話が聞けてとても良かった。
(M.F.さん 男性)

★鹿児島一日研修会(2008年6月14日・15日)

1) 時間がたつのが早く感じるくらい熱中して聞くことができました。得たもの=「心で聴き、内面を見る」→共に生きる 喪失により得るもの、しかし、どうしてもマニュアル化しようとしたり、自分ではなく相手のことばかり見て自分を抑制している私がいる。(K.Tさん)

2) 自分の内面を見つめることを中心に過ごしてきた2年半から一歩進めることを確認しました。(T.Fさん)

3) ユーモアたっぷりの実演パフォーマンス入りで具体的で印象に残るご講義でした。これまで漠然と考えていたことが明確になりました。今後の物の見方、行動について変えさせていただけるかなと期待しております。(60代女性)

4) 受講生がもう少し増えると(30名ぐらい)活気がでるのでは。
傾聴・・・聴くことは受けとること。受けとることの難しさを知りました。Feeling・・・この感情に対して正直になれる事は大切です。同時に困難さもあります。(M.Nさん)

5) 自分の成長のために、自分の感情・情緒に対して考えてみる。素直に、またポジティブに考えるように。いつも考えることの大切さに気付かされ、見る目を育てるこの研修会に参加するようになって、少しずつですが、自分もできるようになってきたと思います。(H.Aさん)

★仙台一日研修会 2008年4月19日・20日

  今回個人的な理解の助けとなりました。無力感を感じたときは、何かいつも居心地が悪く思い、あまり意味のない会話に逃げてしまうことがほとんどでしたが、今回新たな見方が開けたように思いました。又、「ユーモア」と「不思議がる気持ち」は何か「生きる」ことの本質とつながることのように思えます。ともすれば「つらさ」「苦しさ」だけに焦点が当たってしまいがですが(特に頭と気持ちだけでスピリチュアルケアをとらえようとすると)この見方は生きる希望にながる可能性があると思います。


2007年
★鹿児島一日研修会(2007年6月17日)

1) この研修会は私にとって2回目でした。スピリチュアルケアはとてもむずかしく、私が理解できるのは死を考えさせられる時なのかなあと思いました。 ですが…、今、この時期にこの研修会に参加する機会を得たことは、とても幸せな事だと感じています。 今から少しづつでも、生きる事、生きさせてもらっている事を考え、思い出しながら、命や生きる事、当たり前である事に感謝しながら生きていけたらいいかなあと思います。努力します。

2) 日常の中に多くのスピリチュアルなものが隠れているのだとあらためて感じました。日常にしっかり目を向けて生きたいと思いました。有難うございました。

★仙台一日研修会 2006年6月10日

  自己一致の大切さを改めて感じている。常にストレスを感じている今、病気を抱えていたり、今、(人としての)時間が限られている人は、心の底にある揺れ動く自分自身も感じ取れていないような患者に対し、ケアする人がスピリチュアルな鏡として働きかけてあげることが大切であると感じた。 (S・Hさん 女性)

★東京一日研修会 2006年 3月26日

  “共感とは違う共存”ということが深く心に残りました。自分の思い込みでなく、しっかり正しく聴く、そして話す。改めて本当に大切なことを大切なこととして受け止めながら歩いていく事が大事だと思いました。(匿名希望)

★二日間研修会―札幌 2007年6月30日(土)〜7月1日(日)new

☆ 私が以前に参加した時に比べて、今回の参加者数は少なかったのですが、参加した方々の意識や充実感は以前に比べて高いように感じました。 私はこれからも「ほんもの」を目指す真摯な仲間達と共に歩んで行きたいと切に希望しています。 (T・I)

☆ 患者さんの訪問を行う時、今まで常に「無力感」が伴い少し逃げておりました。今回の研修では、なぜ自分が逃げているのかを考え直し、振り返る機会になりました。訪問する私自身の心の準備が出来ていないこと、患者さんに少しでも私がプラスの存在になりたいと考える余り、患者さんを上から見ていること、などに気付かされました。 謙虚にありのままの自分で患者さんに学ばせて頂くという気持ちで訪問する事が大切だと感じ始めてから、前より少し楽な気持ちで患者さんとお会いすることが出来るようになりました。
また、このような研修会に参加すると、静かな気持ちで自分のことを考える機会となり、いつも何らかの「気付き」を与えて頂いてとても有意義です。このような研修会に毎回参加するということは叶いませんが、時間の許す限り参加したいと思います。(K・Y)

☆ 医師が患者に「どうですか?」と声かけすることについて、この研修会参加者のお二人(AさんとBさん)の意見の応酬が意義深いものでした。 Aさんの意見は、医師がこのような呼びかけの言葉を使うのはこれはこれで良いのではないか、と言うものでした。それに対して、Bさんはそういう言葉は「不適切」である、と反対でした。 Aさんは「医師の言葉は患者を思う気持ちを含んでいると思うから、なおざりとは言えない」と言い、Bさんは「医師は患者に{今痛みはどうですか?}というように具体的に聞くのが良い」と主張しました。主張の根拠を熱く真剣に相手に届くように語るのを聞いていると、我々もいろいろ考えさせられました。 このお二人の意見はどちらも正論と言えましよう。 途中からはどちらからともなく強く主張するのを諦めそうな、投げ出しそうな雰囲気も出てきました。 最後には、お互いの意見を受容されたように見受けられました。  キッペス師が「このように正反対の意見を対峙させていくのがスピリチュアルです」と言われたのが印象的でした。(Y・Y)

★二日間研修会…大阪   2005年11月19日〜20日

  『スピリチュアル(心・魂・霊)という言葉に最初は戸惑っていましたが、講義の中で、だんだんと理解できました。身体的・心理的な面でしか向き合っていなかった自分を知りスピリチュアルという究極の問題は、自分が人間として生まれてきた以上、明確に捉えていかなければならないと感じました。自分の最後の場面までこの問題と取り組むことが、自分の人生を意味あるものとすることが出来るのではないだろうか。(匿名氏)

★二日間研修会…南九州  2005年10月15日〜16日

自分をもう一度見直してみようと思う反省の研修となった。正直に生きることの難しさを感じた。スピリチュアルケアは大事なことであるが、これを正しく実行しようとすれば大変難しいことだと思った。ワークは隣の人を知るという意味でよかった。また、現在活動している人の事例やその人達の話が聴きたいと思う。(60代・男性)

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