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必ずしも最善のものではないが、よい参考になります。

用紙:B5版、字のポイント:11ポイント

 

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ブックレポート  領域 人間理解

書 名:友のためにいのちを捨てる{奉仕者の霊性}
著者名:ヘンリ・J・K・ナウウェン
出版社:女子パウロ会
発行年:2002年

レポート作成者:00 00
レポート作成日:200X年Y月Z日





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1)テーマ: 奉仕職活動における奉仕者の霊性

2)要 旨: 奉仕職の活動の中で「いのち」に深いまなざしを注ぎ、自分の弱さを恐れず友のために自分を提供しようとする心のあり方

3)内 容


はじめに

本書は司祭、牧師、教師、カテキスタ、カウンセラーなど、奉仕職にある人達の職業意識と霊性の関係について書いたものである。全てが多様化の現代社会に於いて、職業意識と霊性、この二つの関係の分離が起こりつつあるように思う。奉仕職にあって、以前なら、霊的務めの日課の中で神と向き合い自分に問いかけ、格闘する自分に気付くことが充分出来たが、今は人とかかわりながら「自分は何者であるか」という課題と葛藤している。

司牧的働きが自分の根本になる信仰と重なり、その核にいのちへの洞察(霊性)がなければ、本物の奉仕者にはなれないのではないかと考える。

本書では、奉仕職の主な5つの働きと、それを通して人々のために奉仕したいと願う奉仕者の霊性について考えてみる。

第1章 教えるということ

先生と呼ばれる立場の真の奉仕者とは、私たちが誰であり、何をなすべきか示しながら、存在の根源に導く人のことである。生徒を導くためには、教える内容ではなく、生徒とのかかわり方そのものが奉仕の内容なのだ。強制的に教えこむのではなく、救いのプロセスという導きは、師弟間の相互の受容によって成されるものだ。相手を信頼することにより、信頼された者は信頼に応えようとし、努力し成長する。相互に分かち合い、認め合い、学び合い、可能性を引き出し、自由で創造的な関係をつくることによってなされる。今、ここが救いを体験する場所なのだと意識できるならば、これから出て行く社会に自らを生かしていこうとする意欲になる。平和と自由、愛と正義の種を発見できる学びの場、それが救いのプロセスの目標である。この理想の全面的な実現は難しい。しかし、その方向に向かわせることは出来るはずだと考える。

この大きな問題に正面きって取り組むことを遠ざけようとする抵抗が人にはあり、実現を難しくさせている。学ぶことに対して何故強い抵抗があるのか、3つの点から考えてみる。

1.与えることと受け取ることの思い違い

与える方が受け取るよりよいことだと思って、それを実践し、幸せに貢献していると思う人は多い。差し出したものを相手が喜んで受け取ってもらって、はじめて与える幸せをもらうのではないだろうか。言い換えれば、受け取ることによって、相手に幸せを与えることになる。

2.有能な人間であることに駆り立て、本当の自分の姿を見失わせる間違ったプレッシャー

3.回心への抵抗

最も根深い抵抗である。本物の自分と向き合うことの恐れからくるもの。人は定められた死を変えることができず、与えられたいのちを生きている。誰を救うことも出来ない無力な人間である。現実に向き合い、失うものは何もないことに気付かされたとき、防御していた殻を破り新しい光をみることができる。自分の弱さをさらけ出すことを恐れては奉仕者とはいえない。

キリストはご自身の全てを差し出して救いの道を開いてくださったのだから、奉仕者は、抵抗にさらされても、あるべき方向に向かわせることが出来るはずだ。

第2章 説教すること

説教する人とは、人のためにいのちを捧げることをいとわない人に他ならない。

説教の目的は神のみ言葉に直観的理解に導くことであるが、聞く人の耳に届くのは、テクニックからでなく霊性がかかわっている。

イエスは自分の後に従って生きるもののために、勇気を示して現実と立ち向かい苦しい人生を生きられた。心地よい生活は痛みを伴う現実から離れるよう誘惑するものだ。イエスは言われた。「あなたは、若いときは自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところに連れて行かれる」{ヨハネ21・18}イエスは人間の本質を知るが故に、自らを明け渡すよう強く招いたのだ。奉仕者の体験から搾り出された言葉が、連帯して生きようと投げかけられるなら、聞く人はそこに光を見出すに違いない。自分の人生体験を提供しようとする意欲が人を直観的理解に導くのだ。自分の持ちたいものとイメージに合うものを選り分けて提供するものであってはいけない。

第3章 個々の司牧ケア

奉仕者は、思い悩んでいる人々に適切な助け手となりたいと願い努力している。ニーズは多様化し専門家がそれぞれに応えるようシステム化されつつあるが、その一部に奉仕者の役割があるのではなく、生と死、全てが神からの贈り物として受け容れられるよう、イエス・キリストが見た同じ光に力を見出し、希望を与えることにその役割がある。

光の与え主は神である。奉仕者は神が働ける場を用意するため、自分を否定しなければならない。自分を忘れ、自分を無にして、相手の話をありのまま受け取るためである。

自己肯定{自分の存在を意識すること}と自己否定{自分を捨てること}は奉仕者の本質であり矛盾するものではない。自己肯定と自己否定、自己実現と自己犠牲、両者の緊張の間に奉仕者の本質がある。

実際にケアを必要としている人との関係をつくる第一歩は、援助して欲しいことは何であるかを本人に気付かせ、自分に与えることが出来るかを相手に知らせ、互いを明確にすることである。関係の土台は、神が民と契約を結んだように無条件の契約である。報酬や賛辞、感謝や成功、変化を期待しない。

自分の役割を自分自身が明確に出来るように記録することは有益である。自分が何をしたか、経験から何を受け取ったかを見直し、確認してみる。それはテクニックに応用するのではなく、そこに浮かび上がった人間の有様を観想するためである。観想することによって心の光と闇を区別し明らかにしていくことが出来る。人々に神をもたらし光の下にかざしたいと願う奉仕者は、人々の人生を観想することにより、神を見出すであろう。「世話を受ける人は、助けになりたい人の手をとおして、神が、その優しさを自分に示しておられることを発見するであろう」。

第4章 組織作り

奉仕者として組織作りをする人とはキリスト教的共同体作りを目指し、ビジョンを提供する人のことである。

社会の構造が何も変わらないし変えられない中で、自分たちの行いに社会的意味があるのかとの疑問を抱く司祭や牧師も少なくない。何かを変えようとすれば、今あるものを否定することである。陰謀や搾取を憎み体制を批判することと、敵を友のように愛せよというキリスト教価値観をもって働くこことが矛盾しないだろうかと思うかもしれないが、霊性との関係が重要なのである。「あるべき理想に向かって活動し人を率いて苦闘しながら変革を望むこと」、それと反対に「変革は内面でなければ意味がないと確信して内面だけに関心を寄せること」の、どちらか一方を選ぶのでなく、両者の緊張の間を生き、両者を統合するための探求を助けることが重要なのだ。

キリスト教的展望において、両者のバランスは可能になる。この展望を目に見えるように共同体を導く社会変革の仲介者が奉仕者である。三つの展望を次に説明する。

1<希望>

希望は結果を期待しない。なぜなら、結果が最終価値ではなく、神が約束を果たしてくださるという信仰が希望なのだから。

2<創造的受容性>

奉仕者は助けたいと思っている人達の中に神の美しさを受け取り、その人達によって変えられることを学ぶのである。貧しい人に豊かさを与えることが使命であると錯覚し、奉仕者は感謝されて然るべきというのは権力の誘惑である。「貧しいえている人、泣いている人は幸いである」{ルカ6・20~21参照}といわれるこの幸せを悟らなければいけない。奉仕者はイエスと出会う機会を頂くのである。

3<共同責任>

社会変革の責任者は、共同体の仲間たちとどのようにして分かち合うか、創造的方法で共同責任をとるか、学ぶべきである。教会がリーダーを頂点に小さな王国になっていないだろうか。現実を狭いものに捉えるのではなく、実際に現実では何が起こっているのか観想し、批判的に評価し、必要なときにはキリスト教共同体が声を上げ、関心を持っていることを人々に知らせることが大切である。共同体が愛と謙遜の心で一つになって動くことが社会変革につながる。個人的自負心で社会変革の仲介者とはなれない。

社会変革の仲介者になる人とは三つの展望を持って生きる人であり、観想的人間にならなければいけない。世界の回心の必要性を強く示す人でなくてはならない。

第5章 祝うこと

人は生まれるときも死ぬときも決して自分で見ることも分かることもない。人生は生と死の両端の間に張られたロープの上で、いのちのバランスを保とうとしているようなものである。ロープの上は恐怖に満ちているが、見えざるものの実在に囲まれている。キリスト教の奉仕者はこの人生の全てが掛けがえのない価値のあるものだと深く自覚しながら、人がそれを祝う{受けとめる}ことが出来るように召された人である。全ての意味が分からなくとも、人生の瞬間を深く悟ることによって祝うことができるのだ。例えば生まれると自分で自由に呼吸が出来るが、母の胎内の安全を失うというように、得ることと失うこと、生と死、喜びと悲しみは別々でなく、いつも接している。いのちを失う人はそれを得るということ{マタイ16・25参照}から、死も祝うことが出来るのだ。完全な喜びや、完全な悲しみがあるのではなく、人生は複雑に入り混じっている。それゆえ、深く悟らなければ祝うことが出来ない。

祝うことはまず、今ここに在ることを自覚し、全面的に肯定することである。自分を肯定してこそ、他者を認めることが可能になり、互いに共鳴し合っていることを認識する。共鳴は分かち合いであり、問題の解決に手をかすことでない。語る人と聴く人の関係で、異なる体験を肯定することである。

二つ目は想起すること。過去が積み重なって今があり、人生の途上にたっているのである。過去にも必ず意味があると知って祝いが深まるのだ。

三つ目は期待すること。未来は期待に満ちている。なぜなら、イエスキリストが救い主としてこの世に来られたとき、いつどこにいても神は私たちと共におられ、私たちを赦し、再び来られることを約束し、隠されていたことが明らかにされることを期待して待つようにと教えてくださったからだ。現代にあっては、期待して待つことが非常に難しくなっている。祝う方法を示し祝うことを助ける人は聴く人でなければならない。自然の声からいのちの尊さを、人の声から奉仕者を求める声を聴いて悟る人でなければならない。神の声に耳を澄ませ、祈りの人であり、人を助けるために提供できるビジョンを持つ人でなければならない。神に完全に従順な方はイエスしかいない。奉仕者は聞いたことを人々に伝え導く案内者に過ぎない。

おわりに

奉仕者は他者のために自分の命を捨てるという献身に根ざしていなければ、奉仕の役割を忠実に果たしたとしても真の奉仕者とは呼ばれない。奉仕職は五つのこと以外にも様々な形態があり、司祭や牧師の特権でなくイエスの弟子であるキリスト者は奉仕者である。何故自分のいのちを友のために捨てるのか、それは、新しいいのちを与えるためである。新しい人生を創造することのために命を与えるのである。奉仕者が自分の弱さを直視し、それを他者のために役立てることは弱さを創造に変えることである。

今、奉仕職の危機といわれるのは、過去の意味と未来への期待が持てないという事実に関係していると思う。若者たちが教会から遠ざかる一方で、精神の集中、黙想、観想という言葉が再び使われ、霊性の探求が高まっている。未来への期待が少ない現代、人生に意味を与える現実が今体験されなければならない。イエスを身近に感じるには奉仕職を必要とするのだ。弱さを創造に変えることの出来る奉仕者が求められている。

4)感 想

読む度に、著者の霊性の深さを感じさせられた本であった。初めは、自分や自分の周囲の事が重なり、奉仕者の影響の大きさに共感した。心理的な理解であったと思う。著者自身が本の中で自分の弱さを提供し、読者にいのちを与えようとしている献身的な態度が読み取れた。書かれている内容が奉仕職の理想かもしれないとあるが{エピローグにそのような批判も掲載されていたが}私は理想であってもその方向に向かわせることは可能であると体験を通して感じている。スピリチュアルケアを学びながら、ボランティアで病人やお年寄りの人を訪問しているが、現実に人が変えられていくのを見て感動を覚えたことがある。初めのうち感謝もされず、怒りをぶつけられたこともある。空しい時、神の計らい見出せなかったが、きっと意味が隠されていると希望を持つことは出来た。「神の計らいを見出すことの出来る人が真の奉仕者である」という著者の言葉に、確信を得ることが出来た。

自分の弱さを差し出す勇気にはいまひとつ足りない自分を感じている。心を開いて人との自由な関係を築くために、弱さを創造に変える人になるよう、意識していたいと思う。

 


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