シネマ語りの部屋「終の信託」

シネマ語りの部屋「終の信託」

聖ヨゼフ病院 臨床パストラル・カウンセラー 山下 清美


movie_jac検察の呼び出し。待合の長椅子で約束の時間を過ぎても何の音沙汰なく待たされる知的で聡明そうな女性。亡くなった患者さんとの日々を回想するシーンから物語は始まる。

この映画は川崎中央病院で起こった医療事件をヒントにした朔立木の「命の終わりを決める時」という小説をもとに、「命の尊厳」また「生きるとは」を描いた周防正行監督の最新作である。元の事件と比べると美化され物語として面白くなるように描かれているが、今回は単純にこの映画の感想を述べたい。

担当していた喘息の患者さんから生前、「その時(死期)が来たら早く楽にしてください」と思いを伝えられていた医師。その時が来て家族に状況説明をし、同意を得、人工呼吸機を外すことになる。しかし外したとたんに患者さんは激しく苦しみ始めそれを抑える為に薬を過剰に投与したことで家族から訴えられる。しかし、その後、患者さんが付けていた日記がみつかりそれがリビングウィル(死亡選択遺書〕と認められ刑が軽減されるのである。

この患者さんが付けていた日記が実はこの話の中で重要なポイントになっている。
私ごとではあるが最近、父が入所していた施設に勧められ父にリビングウィルをした。海外にいる兄弟のために父に承諾を得て録音もしたのだが、本人が答えられない時や口ごもってしまう時に問いかけ側の価値観が入ってしまい心理的操作的問いかけをしてしまうことがあった。

そして父の思いを施設側に伝えたがその反応もやはり施設側の価値観で返答された。誰かとリビングウィルを考える時、たとえ丁寧な言葉であっても、非言語的な部分(声のトーンや表情など)で少なからず価値観を押し付けてしまうよことはあるのではないかと私は感じた。

自分自身で自問自答して書くことは大事だ。映画の中で患者さんが失恋で失意にあった医師に「あなたは真摯に生きている」と評価している。この言葉は、この患者さんの価値観と思う。患者さんがリビングウィルなる日記を書いていたことはある意味自分の「命」について『真摯』に生きようとされ、また大切な家族に対して『真摯』に向き合おうという価値観の表れだったように思う。

ヒトが人間(関係性の中で生きる存在)である以上「命」は個人の自由になるモノでは無いのかもしれない。「法」や「国家」という統治の元ではそれを特に感じる。だからこそ統治国家に生きる一人としてリビングウィルをするコトは個人の存在の主張であり叫びと言えるのではないだろうか。繋がりの中に「生きるワタシ」を意識し真摯に生きることはかけがえのない「命」を大事にするコトに繋がるのだなと考えさせられ、更に、その一つ一つを大切にする国づくりは何と大事なことかとつくづく感じた映画であった。


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