安楽死について~ある動物看護士の体験から~

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安楽死について~ある動物看護士の体験から~

南関東ブロック 臨床パストラル・カウンセラー

獣医療における安楽死は個々の獣医師の責任、判断に任せられています。私自身、年間3、4頭の安楽死に立ち会い、さらに犬、猫の避妊手術に至っては日常的に行われ、「命は誰のものか」という問いに直面させられることが多々あります。避妊手術時、すでに妊娠初期もしくは出産間近という場合もありますし、時には生まれて間もない命の殺処分を頼まれることもあります(このようなことを避けるために避妊手術をするという考え方もあります)。本来、動物の命を助ける場で同時に命のコントロールも行われているのが現状です。

安楽死安楽死は多くの場合が飼い主の希望に沿って行われます。様々な理由がある中、現在一番多いのは犬の高齢化に伴う認知症の症状悪化により、やむを得ずというもの(昼夜逆転によって夜中の徘徊、排泄、鳴き声のため、飼い主が心身の不調を訴えたり近所迷惑を考えて)。二番目は病気による苦痛からの解放(予後不良の場合)、他には強い攻撃性をコントロールできないという飼育上の理由や飼い主自身の入院、引っ越しによる環境上の理由などがあります。

安楽死が、①飼い主の希望であること、②治る見込みが薄く治療の継続がペットに残酷と思われる場合、③法律上の問題がないなど、このような条件が揃えば行為そのものに事実上の問題点はなく心情的にも理解しやすい・・・にもかかわらず、安楽死処置後は心が落ち着かず重苦しさが残ります(患畜の意思が確認できないということも大きな要因でしょう)。理屈によって納得しつつも「本当にこれで良かったのか・・・」という生命への問いに答えは無く、しばらくの間、私を苦しめます・・・。
——— W・キッペス著「心の力を活かす スピリチュアルケア」(2012年発行)より

一年前、書籍発行に際して以上の記事を書かせて頂きました。当時私は、動物病院で日常業務として頻繁に行われている避妊手術や年に数頭ある安楽死処置に対して個人的な疑問、葛藤、違和感、後ろめたさなどを抱いていたのです。一方で行為に対する慣れ、行為を正当化できる知識、事情への順応を身に付けていたのも事実です。

そして一年後、私自身が病気治療のため子宮を摘出するか否かの選択を迫られる立場になりました。いざ“自分のこと”となった時、様々な思いが巡り「嫌だな」と感じました。同時に「これまで自分がしてきたことが今自分に返ってきた。さんざん犬猫から健康な子宮を奪ってきた私に抵抗する資格はない」とも感じました。

頭では、そんな因果論は不健全と考えつつも心が勝手に囁くのです。日常の中で風化していた(しているように感じられていた)罪悪感や中途半端な自意識が“自分のこと”という実存的な状況を得て表出し、くすぶっていた痛みをもう一度自分のものとして受け取りました。

“他者のこと”であれば、因果応報、病気を報いと感じる罪悪感にある程度の距離が持てます。しかし、いざ“自分のこと”となれば、罪意識と「でも・・・」の狭間で揺れ、あがき、身勝手になりました。“自分のことはさておき”のなんと多いことか・・・。と言って、全てにおいてClearな人間になれるわけもなく、所々さておきつつの自分を正直に生き、人や物事との出会いから学び続け、やり直し続けていくしかないことを一年前の記事を再読する機会を頂き改めることができました。


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