スピリチュアルケアの神学 (1)

スピリチュアルケアの神学 (1)

「試練、省察、祈りという下降の道」と「浄化、照明、一致という上昇の道」

聖マリアンナ医科大学 福田誠二

「スピリチュアルケアとは何であるのか」。
キリスト教霊性神学によれば、人間の精神は「試練、省察、祈りという下降の道」と「浄化、照明、一致という上昇の道」とを歩むことによって神に出会い、神と一致すると考えられている。この観点から、スピリチュアルケアについて考えてみたい。

キリスト教においては、人間とは個として自立し、自由で固有の意志と知性を持つ、かけがえのないユニークな人格であると考えられている。同時にまた、このように、個として独立した人格であるとはいえ、人間は、あたかも唯我独尊的に、どこまでも永遠にただ独りで生きていくことはできず、自己とは異なる、別の独立した人格と出会って生きていかねばならない運命にある存在である。しかも、固有の自己を持つ一個の人格である自己は他者と出会い、他者と交わることによって、自己の人格を変えていく存在でもある。

聖マリアンナ医科大学言い換えれば、人間の人格とは他者との出会いと交わりとによって変化し、変容されていく存在であるといえる。つまり、キリスト教霊性神学における「人間がスピリチュアルな存在である」とは、「人間が他者と出会い他者と交わる際に、人間の人格は変容されるが、その変容の瞬間に人間の人格のスピリチュアルな本質の一端が現われ出る現象」であるといえる。ところが、この各々の人間の人格はそれぞれまったくユニークで、かけがえのない存在であるので、そしてしかも、それらが各々まったくユニークに出会うので、それらを「共通普遍的に把握し、表現する」ことは不可能であることも容易に推測される。

従って、「人間の人格がスピリチュアルである」ということを把握するには、それらの出会いが共通普遍的なものと考えるのではなく、各々の出会いを「その都度の現象的なものとして」種々の観点からおよび種々のカテゴリーにおいて理解・把握を試みながら、人間存在の実存の多様さとそのユニークさを多面的に総合的に理解・把握するよう試みることが重要であると考えられる。

それでは、「人間が他者と出会う際に現れ出てくるスピリチュアルな現象とはどのようなものであろうか」。キューブラー・ロスによれば、人間が自己の死に直面したとき、人間は「否認と孤立、怒り、取り引き、抑鬱、受容」という五つの段階といわれる、精神医学では防衛メカニズムと呼ばれる、極度に困難な状況に対処するために精神に備わっている精神のメカニズムを経ながら、死を受容していくという。キリスト教霊性神学によれば、人間の人格が他者と出会う際に人間が辿る伝統的な歩みの第一のカテゴリーは、「試練、省察、祈りという下降の道」といわれるものである。

人間は、大抵の場合、何らかの試練に遭遇してはじめて自分の置かれた状況とその中にいる自分について真剣に考え始める。むしろ、人間とは自分自身が非常に困難な状況に直面してはじめてものを考え始める存在であるともいえる。戸惑い、迷い、否認、孤立、怒り、抑鬱等、心の葛藤を経験するなかで、徐々に深い思索と本来の自己の姿を獲得していく。そうして、いわば「理性」の内側における理性的及び論証的な活動を超え出た、自己の精神の最内奥における、自己に向き合う自己を超え出た存在に対する対話と交わり、広義の意味での「祈り」という事態に進んでいく。

精神の最内奥における自己と自己を超える存在に対する実存的な活動は、「魂の根底」における「内奥」「隠れ場」「空洞」において自己を超える存在を「受容する」行為となっていく。その際に、「自己を超える存在」は「より一層、自己の根底に存在する」と考えられる。それゆえ、「自己を超える存在を受容する」人間の行為とは自己の高みへ上昇する行為というより、むしろ「より一層、自己の深みへと降っていく」「自己の試練の深みへと降っていく」行為となる。神学的に述べれば、「深部からの神学」あるいは「深部から深部へと向かう神学」と呼ばれるものである。それゆえ、「スピリチュアルである」とは、「人間の精神が自己の試練を通してより一層、自己の深部へと降っていくこと」であり、「人間精神が深部から深部へ向かうなかで、スピリチュアルな自己の存在の姿を現すこと」であると考えられる。

さらに、キューブラー・ロスによれば、「五つの段階」を通して自己の死の受容へと向かう人間の精神には、常に「希望」という内面の傾向性が存在している。一方、キリスト教霊性神学によれば、神との一致へと向かう人間精神は「浄化、照明、一致という上昇の道」を歩むといわれる。人間は他者と出会い、他者と交わるなかで、徐々に内面が浄化され、他者からの新しい光によって内面が照明され、何らかの新しい仕方で「他者と一致する上昇の道」を歩む。このカテゴリーの源流はギリシャ思想、特に、新プラトン主義思想にあるといわれるが、ギリシャ教父の一人であるディオニシウス・アレオパギータは、その『神秘神学』において、人間精神の「神化」の思想を具体化する、人間精神と神とが一致する道における一つの基礎的な枠組みとして、このカテゴリーをキリスト教神学に取り入れた。

言い換えれば、「浄化、照明、一致という三様の道」においては、「三」という数は三位一体における神の愛の交わりを示し、「一」という数によって人間精神がその神の愛の交わりへの参与を通して、神との観想的一致へと至ることが暗示されている。人間が恩恵によって神に出会うと、人間はその恩恵における観想的な神との愛の交わりを通して、徐々に神に似たものに変容され、そしてその後、神との恩恵的な一致へと至ると考えられる。

今、目の前の一人の患者さんが信頼のうちに心を開いてカウンセラーに何かを話しているならば、その患者さんはカウンセラーとの人格的な対話を通して内面が浄化され、そこに新しい光が照明され、カウンセラーとの深い人格的な一致へと入っていく。同様に同時に、そのカウンセラー自身もその対話を通して内面が浄化され、新しい光が照明され、その患者さんとの深い人格的な一致へと進んでいく。最終的に、人間精神は目に見える感性界を超え、自己の精神さえをも超え、すべて存在するものの「在ること」と「善きこと」の根拠である神を観照しようとする。

そして、すべての段階を昇りつめた今、「愛である神との全人格をかけての一致」のみが残っている。ここではもはや人間の自然本性的な諸能力による努力は無力である。超越者の側からの恩恵としての働きかけのみがこれを可能とする。キリスト教神学では、この働きかけは、神と人間の媒介者・仲介者・弁護者であるイエス・キリストを通してのみ授与され、完成され得る恩恵であると考える。スピリチュアルケアの実践においてはこの媒介者・仲介者・弁護者とは誰なのであろうか。

2008/09/04


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