特定非営利活動法人

スピリチュアルケアの提供を保障する日本の社会の実現を目指します。

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所長 W・キッペスのBlog

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スピリチュアルケア実践の場から

  1. 姉の場合
  2. 教師Gさんの場合
  3. Fさんの場合
  4. Uさんの場合

 

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1.「姉の場合」

私の姉が肺癌になり手術不能で抗がん剤と放射線治療を受けた後苦痛が酷く、病院ホスピスに転院しましたが、医師の言葉や態度は私達が期待していたホスピスとは程遠いものでした。

そんな時に知人からパストラルケア・ワーカーの〇〇さんを紹介して頂きました。姉も私もその苦しさを聞いて頂きました。いつも真摯に聞いてくださり、傍に居るだけで「貴方の話を聞きたい。今は貴方との時間なのです」と言われるように感じられ、大切にして頂いていると思いました。

一番印象的だったのは、姉が亡くなる数日前、〇〇さんから「今から訪問します」と電話があり、それを姉に伝えると、それまで苦しい顔をしてじっと下を向いていた顔を上げ、「うれしい」とにっこり笑ったのです。 そして〇〇さんが来られて姉に「Jさん、先に行っててね。私も後から行くから迎えに来てね」と言われたのです。「あなたはもうすぐ死ぬのですね」という話がさりげなく、何の違和感もなく話されている事に驚きました。元気な人が死を前にした人の心を穏やかにする事が出来るのだと思いました。

そして、私も患者さんに寄り添える人になりたいと思いました。

※(臨床パストラルケア研修生、2003年度、「心と魂の叫びに応えて4」から引用)

 

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2.「教師Gさんの場合」

Gは教師という仕事をもち、母の看病のために独身を貫き、人に頼ることなく自立して生きて来た女性であった。 信仰を支えとし、神と自分との対話の中で生きて来られた。Gはこのような自分の人生を「私なんか生まれて来なければ良かった」と否定していた。

ガンという不治の病にかかり、死を間近にした時、「何も治療を受けずに死を待てない」「今までの人生の意味が見出せない」「もう早く死にたい」という叫びを上げていました。

このようなGの苦しみを救うきっかけとなったのは、見舞いに来た教え子の言葉と、偶然に見た「しおり」の言葉でした。 何人もの教え子のから、「先生のあの言葉に私は支えられました」という言葉はGの存在価値、人生の価値を与えるものになりました。

一枚のしおりにあった、”Each day is a precious gift from God” という言葉により、どの日もどの日も神様からの大切な贈物であった事に気づき、神様から大切にされた人生を実感したのです。

そこにずっといた私達は何なのか? 私達は、Gの存在を見せていただく存在、Gの霊的成長から学ぶ存在、Gの優しさや思いやりを受け取る存在であったと考えられる.これが、私達がGに対してできたスピリチュアルケアであったと思う、

※(臨床パストラルケア・スタッフ、「心と魂の叫びに応えて3」から引用)

 

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3.「Fさんの場合」

28歳の男性で神経に無数の腫瘍が出来て、痛みの強い難病の方でした。

彼は「話がしたい」「誰か話をきいてほしい!」という叫びを上げていました。初めて会ったとき「おばさんくらいの年の人が一番話し難い」と言われました。 傍にいたお母さんは「何の話?お母さんじゃダメ?」としきりに言われましたが、Fさんは「これは深いところの話。だから、お母さんが居なかったら、この人と話ができる」と言われたので、夕食後改めて訪問したのです。

彼は「大学生活1年が過ぎた頃から家に引きこもり、家族には本当に迷惑をかけた。別の大学を再度受験して学生生活を送っているところでこの病気になった。

まだ社会にも出ていないのに、これで終わりなの?それじゃあ、僕の人生は一体何だったのか。僕はこれまで人と話をしてこなかった、人と関わり、会話をするということがなかった。

今になって無性に話がしたいと思ったんだ。」と語った。「このままで終わるのは情けない、もう一度元気になれると思いたい」「そうよねえ、そう思いたいね」「望みは捨てないが、現実に弱っていく。こんな苦しい自分は、これからどう生きればいいのか・・・」彼は突然「マザー・テレサは言われましたよね。“かれら(死にゆく人々)は、私たちが与える以上のものを与えてくれる”。

それなら、ぼくでも何かを与える事が出来るんじゃないか・・と思う」。 それではFさんはどんな事ができるだろうかと一緒に考えながら、マザーが日本に来られた時話された一人のおばあさんの話をしました。

最後はマザーの腕の中で静かに微笑んで「サンキュウー、マザー」と言って、息を引き取られた。「それはそれは美しい笑顔だったそうですよ」「そうかあ・・僕にもできるかな・・・」「苦しい時は・・・でもじっと我慢するしかない、ただ、苦しいだけだ・・・」と次第に思いを深めて行かれた。そしてついに「祈りや愛があるから苦しい事も耐えられるんだ」と苦しみに意味を見だされたようでした。

・・・この訪問は忘れられない一期一会になりました。

※(臨床パストラルカウンセラー、「心と魂の叫びに応えて3」から引用)

 

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4.「Uさんの場合」

50歳の男性で家族は奥様と21歳、16歳、14歳の三人の子供。大腸癌で大腿骨と肺に転移あり、本人はこれらの状態を告知されていて、我々のホスピスに入られた。入院時の希望は「大腿骨の痛みを取って欲しいだけ」と言われる。ある程度痛みの緩和が出来てくると車椅子などで移動を一人で行うようになりましたが、動いた時など激痛をして出現する事もありました。

それでも日中は前向きに「痛いからと言って動かさなかったら駄目。 自分で動きたい」と動く努力をする。 しかし夕方になると、Uさんは「なんとも言えない気持ちになる。自分ではどうにもできん」と言われ、イライラしたり、痛みを訴えられました。 社会面では、Uさんは病気になったことで、自分をもっとも支えていた仕事という社会的役割を喪失したのです。

死ごとへの思いを残しており、職場での自分のことや、部下を如何に育ててきたかを、生き生きとした表情でよく話されました。 精神面では、痛みに対する恐怖は強く、頓服で服用するモルヒネをお守りとして持ってもらうことは安心感を与えました。

ケアを行っていく中で、Uさんとの間には信頼関係も生まれ、今までの生き方や、どのように過程を築いて来たかなど、人生の振り返りをなさるようになり、自分自身を深く見つめるようになりました。

Uさんは死を怖くないと言われていましたが、夕方になると襲ってくる「なんともいえない気持ち」と戦って自分自身に言い聞かせ、セルフケアしておられたのだと思います。Uさんは、死をどう考えるか、死後の世界があるかなど自然に話されることもあり、私の意見を求められた時は「私はこう思っています」と死生観を伝えていきました。

Uさんは死に対して「生があれば死がある。人は死に逝くのではなく、来た時が死ぬ時」と話されました。 このような会話をされる一方、体の変化や社会面での喪失感から、不安、苛立ち、怒り、恐怖を言葉として私たちにぶつけ、「もう死んだ方がいい」「こうなったらカスみたいなものだ」「猫でも自分の体は動かせるのに」「情けない、死んだ方がいい、殺してくれ」といったような言葉を繰り返し出されました。

私はUさんの話を聞かせて頂くことで多くのことを教えていただいている事を伝えました。 ある日、子供さんたち2人がうれしそうに走って病室に向かっていく姿を見て、父親が病室にいて待っていてくれるという、喜びがあるのだと感じた事をUさんに伝えました。

Uさんはとても驚いて「何もしてやれんのに、会うだけなのに、親に会うだけがそんなにうれしいのかな・・・」と言われました。 このようなことから、Uさんの霊的な痛みが家族のかかわりの中で癒されるのではないかと考えました。

そこで、長男のかたに子供さんたち皆がお父さんへの思いを手紙に託してプレゼントしてみてはと提案しました。

そしてこれがきっかけで、家族と過ごす時を持ちたいと外泊されました。外泊註は自宅へナースが訪問して、痛みなどのケアをしていきました。希望日まで頑張りで外泊されました。

外泊から変えられた日、「子供たちとも沢山話せた。一緒に過ごせ、自分の中で区切りをつけることが出来た。ありがとう」という言葉を残し、5日後天国へ旅立たれました。

※(あるホスピス看護婦の話。心と魂の叫びに応えて、1998年度現場からの報告)