4月3日(日)
<堤>
神戸から車で約1000km、高速を下りてさらに地道を80km。町全体廃墟となり、余りのすさまじさに言葉に表現できません。
昨日18時頃着いたのでボランティアセンターは閉まっていました。今日調整します。
失ったものの多さ大きさは計り知れないです。同じく被災しても痛みのひとひだひとひだ違います。
今日の出会いから被災者同士の中の孤独に触れさせていただきました。被災した方々の痛みではなく被災した〇〇さんの痛みに敏感になることの大切さを感じました。今日何千人もいてひしめき合っている大きな避難所『ひとりぼっち』となんどもはなしていました。集団の中の孤独もみえます。
<宇根>
避難所に入れる機会を待っていましたが、同じ宿泊所にJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の医療スタッフが居て夜間の避難所に巡回がはじまり、心ケア担当として同行し始めました。就寝前なのでゆっくり話しは聴けないので必要ある方には日中再訪し話しを聴く事が出来るようになりました。
避難所を管轄しているしている職員には、スピリチュァルなケアの必要までは理解していただけないので医療スタッフとして名札を作り職員に顔を覚えて貰えた事は大きな前進かな、時間をかけて住人にも覚えてもらえるようにもしなければ。
一人一人の痛みは違うし多いしなので焦らないように丁寧に関わっていきます。街の中の基地でも少しずつ話しを聴く機会も増えて来ています。
少し疲れを感じ始めているので気をつけないとね。他の避難所も多く、今後も心のケアワーカーがどんどん入れる方法を探っていきます、もっと多くワーカーが入れるために。
4月4日(月)
<堤>
すべてのライフラインは復旧せず。
せいぜいお湯を沸かしカップ麺程度。
顔も手も満足に洗えない。アルコールかウエットティッシュで拭く位。
自炊用に持って来た食材も使えない。
避難所で分けてもらっている。
スピリチュアリティを分かち合える仲間がいないのが一番きつい。
孤独を味わっている。
<堤>
ケアの危機感やニーズをキャッチするアンテナが作動していない。
そのような空気、雰囲気はない。
DOINGのモードに掻き消され呑み込まれている。
壊れてしまってから気づくのかも。
『心のケアが必要』という呼びかけもDOING、物資の一つ程度にしか伝わっていない印象。
気の遠い長いグリーフワークが待っている。
いまうちなる叫びはたくさんあるのに。
<堤>
この町にはたくさんの避難所がありこの施設はその総本部。
ありとあらゆる大きな組織や団体ががっちり入っている。
個人のボランティアが入るすきまがない。
マッチングが上手く行かなければ個人ボランティアが来ても要請待ちで待機の状況。
ほかの避難所では医療以外は外からのボランティアがひとりも入らず被災者だけでやっているところもある模様。
避難所によって待遇も状況も随分違う。
ニーズがあるのにボランティアをコーディネートする人がいないので悪循環。
結局、ある避難所でボランティアリーダーをすることになった。
DOINGとBEINGのボランティアどちらも有効活用出来る基礎をつくれたらいいのかな。
<堤>
ボランティアの仕事を終えてから出会いは始まる。
介護の仕事をしていた女性。
利用者の方を避難させている間に自分の両親を助けることができなかった。
家も両親も職場もなにもかもすべて流されてしまった。
大好きな大切な両親を助けられなかったそれが一番悔い罪悪感を感じている。
介護の世界に入ったらのは将来両親の介護のためだったのに。
4月5日(火)
<堤>
ボランティアの仕事を終えてから夕方、避難所にいる一人の女性と別の避難所に行ってきました。彼女のともだちに会うためです。両親・家・車すべて流され会いに行くこともできないでいたので、私の車で一緒に行きました。
会いに行ったそのともだちも両親・夫・幼い一人娘を家ごとすべて流されてひとりぼっちになってしまいました。外出先で地震にあいそのまま帰ることが出来ず連絡もとれず、3日後ようやく戻ったときは家も町もなくなっていました。宝物の大切な娘さんはまだ見つかっていません。母親(祖母)の遺体が見つかったときは孫を抱き抱えているような状態だったようです。必死に守ろうとしたのだろうけど小さいから腕からスルッと抜けてしまったのではないかということでした。
3週間ぶりの出会いにご一緒させていただきました。
お願い。私の発信する内容についてコメントしないで下さい。受け取った魂の叫びを仲間に共有したい。癒しのためにともに祈ってほしいのです。つながり支えを頂くことによって彼女たちも私も生きることが出来るのです。
4月6日(水)
<宇根>
昨日より宿泊場所を街中にある活動拠点に移しました。
他の多数のボランティア達と一緒に雑魚寝状態。ライフラインは水のみ。但し物資は充足。
避難所に入っての心のケアには難しさを覚えます。プライバシーの無い中で、どう内面を表出できるか、どう確認をして深められるか・・
何百人も居て社会的な痛みから心理的な痛み、解決できる痛み等、混雑する叫びの中から、何処に集中するかで出会いが決まってしまう。本当に難しい。
限界を感じつつ出来る所から・・出合う多く方々は皆頑張ろうとしているし、その中で自分も頑張らなければと言われます、津波で家族を失い家も失う等痛みを覚えつつも・・一種の自己防衛なのかもしれません。時間をかける必要もあるのでしょう。
<堤>
いろんなサポートがあります。
ステキだなぁと感じたのは『思い出プロジェクト』がれきの中から写真を拾い集め洗いの作業をして持ち主に返す。とてもやり甲斐のあるボランティアのようです。早く本人の手届くといいですね。
今日3週間ぶりに安否がわかり家族と再会出来たという方に会いました。両親も、兄弟も大怪我をして治療を受けていたようですが『生きててくれてよかった』と何度も言っていました。
朝早く出掛け夕方会ったときうれしそうにご両親が写っている3枚の写真をみせてくれました。1日中がれきの山と格闘しヘトヘトになって捜した3枚の写真。聖書の『畑に隠された宝』を発見した喜びを分かち合って頂いたようです。
人間のスピリチュアルなパワー『にも関わらず笑える』
4月7日(木)
<堤>
好き勝手にやってきたという男性。
父を超えてやろうと思い家をでました。
何年も帰っていなかった。
久しぶりに帰ったら生まれ育った町が無くなっていました。
父に怒られるかなと思いましたが怒られなかったです。
最初顔を見たとき何も言えなくて言葉がでませんでした。
父は一言『久しぶりだなあ』と。
怪我をして横たわっている父がとても小さく見えました。
でも父の存在がこんなに大きいとは思いませんでした。
そして超えてはいけない存在なんだなあと感じました。
だから自分のものより父の思い出の品を何か1つでも見つけてあげたいです。
今回のことで目を覚まさせてもらいました。
家に戻って父と一緒にこの町で復興してみせます。
そう語ってくださいました。
聖書の放蕩息子と父親との出会いと重なります。
父親のスピリチュアルなHUG、無条件の愛を頂いたのだと感じました。
明日宝捜しに私の車を提供することにしました。
お父さんの宝物がみつかりますように。
4月8日(金)
<宇根>
私が行っている避難所には漁師町の方々が多い。その妻からよく聴くのが〜皆が頑張ってるから頑張らなければ〜です。大変な被害を受けているにも係わらずに・・。
頑張る周囲のせいで悲嘆に蓋をしているようで、お互いがお互いの頑張りに期待する循環が生まれてしまう感じを受けます。
避難所と言う集団から離れて話しを聴く等の工夫が求められているかも。
一緒に医療チームとして回って居るJOCSが一つの避難所で自由に使える部屋を確保出来ました。診察部屋だけでなくプライバシーを保障し集団から離れる機会をも作れるのではないかと期待してます。
またどんどん避難所から内陸の温泉街に避難する方も居ますが、コミュニティが分断されて行く可能性あり不安です。
避難所から温泉街、そこから仮設、そして住宅・・息の長いケアが要る、今からそのシステム考えないと。
4月10日(日)
<堤>
堤澄子です。
日の出とともに始まり日が沈むと一日が終わる。
発電機でわずかに常夜灯が着く程度。
電気がつくのは夜6時30分から2時間だけテレビもその時間だけ。
避難所の消灯も早くなり8時30分。
だけど真っ暗な夜空に輝く星はとても美しい。
少々不便なことは電波が悪く電波を拾うだけでどんどん消耗すること。
使わなくても携帯は1日しか持たない。
携帯会社が発電機で充電サービスしてくれているのでとても助かっている。
ただし混んでいるので必ず充電できるとはかぎらない。電池のスペアがあれば安心。
みんな必死で充電している。
不便でも困っていることは何もない。
ほんものの出会いを少しずつ頂いている。
スピリチュアルケアのことを知っている人にまだ一人も出会っていない。
見向きもされない。
だからこそ、スピリチュアルな人格を大切にし看護師でもなく一人の人間としてここに身をおくことが意味があるのだと実感している。
みんなDOINGで忙しくしている。魂を受け止める人がいない。
4月11日(月)
<宇根>
宇根です。難所への夜間巡回から日中に回るように変わりました。
夜間だと時間の制約がありゆっくり関われません、午後だと時間取れるので有り難い。その分、出会いのチャンスは多くなりますが、向き合う私の日々の質が問われます。
昨日も家を津波に全て流され大事な大事な宝物を失った痛みを話されていたのを聴きながらも、しっかり寄り添えない自分を感じていました。いろいろスビリチュアルケアとしてすることが多くなってきて余裕が無くなって来たからかもしれない。
スビリチュアルケアや心のケアが出来る人の補充が必要になって来ました。但し、誰でもという訳にもいかず又キャパの問題もあり、どう呼び掛けるか思案中。
あせらずゆつくり・・。昨日カトリックのサボートセンタの方々と心のケアに携われる人を今後どのように入れられるか話し合いを持ちました、引き続き話し合いしていきます。
4月15日(金)
<宇根>
宇根です。
昨日から疲れが出て独りになる時間を作り自分作りをして、今日は大分楽になりました。
余裕が生まれると出会いが生まれます。今朝は「津波に合い腰までつかりながら3人を助け、4人目の方の手を捕まえるたものの引き上げる力が無く、そのうち手が離れ流されてしまった」「・・周りの者は良く頑張ったからええじゃないかと言う・・でもわしの中では、あの人の顔が忘れられない。死ぬまで忘れない・・」と涙を流して話してくれた男性に出会いました。
涙を「涙腺が緩んでダミダ・・」とこぼした彼が「泣いていいんだな」と言いながら帰る姿に、心底希望が生まれると信じたい気持ちでした。
毎日が、こういう出会いの連続です。何人も何人も違うスビリチュアルな痛みに苦しんで叫んでいます。
この数え切れない叫びを長い時間をかけてケアしていく方法が欲しい・・一時的なボランティアが出来た後にも適切なケアが、必要な人に届くシステムがないか切に望む。可能なら地元で被災しつつもケアに感心をもった人を養成し、外部からの支援を受けつつケア出来る人を育てるシステムがないだろうか・・緊急支援時の今から考えないと行けないんじゃないか・・そんな事を日々考えています。
毎日回っている避難所の一つが18日に統廃合になります、津波で傷ついた心を癒す間もなく次の不安に動揺し、震災で受けた傷の癒しは先送りになった感じです。
4月17日(日)
<宇根>
宇根です。
この被災地に入り「心のケア」のボランティアをしてきました。避難所と街中、そしてボランティア基地での「心のケア」担当してきました。しかし、目の前の避難所の方々の叫び、自宅避難所で過ごす方の叫び、そしてそこに関わるボランティアの叫びの中では、私一人ではどうしても限界です。
それで、この被災地で一緒にスピリチュアルな領域を生き尚且つスピリチュアルな叫びの中でも希望を探して行けるような仲間を探しています。
関心のある方(認定者が相応しい)連絡まっています。
4月19日(火)
<宇根>
宇根です。
ボランティアには多くの方々がみえて面白い出会いから心震わされる出会いとあり不思議さを味わえます。
基地になっている所が教会でありお寺とも繋がりもあって必然的に宗教者も多いですが。
北海道からきた酪農家との出会いもとても素敵です。40年余り北の大地を切り開き牛を飼い果物を植え地に足をつけた生き方をされている人。なんと彼が、現地にチェロを持ち込み弾いてくれるのです。そのチェロの音色が腹に響くのです、そのうちに何だか心が潤っていくようで・・沢山の叫びと先の見えない不安の中で、私自身も希望を持ちきれないで居たようです。
たとえどんな状態であっても、希望になるモノを掴んでいないと心は枯れそう。向き合う私自身は揺れない希望の中で、叫び苦しんでいる方々に向き合って生きたい、その変わらぬ希望に繋がる私を生かす方の存在に繋がっていたい、チェロの響きはそれを私に教えてくれました。
またこの被災地で生きてみたいと力を感じています。
4月21日(木)
<堤>
堤です。ようやく電気がつきました。しかし本部の避難所周辺のごく一部だけなのでほかの避難所にも配慮して消灯は8時30分。
水道回復はかなりの長期戦の模様。普通はトイレの後せっけんで流水で手洗いをと呼びかけられるのですが、ここでは手洗い消毒液で擦るだけ。飲料水タンクの水を手洗いに使わないよう注意されます。悪循環でノロウイルスとの戦いに四苦八苦。食器を使い捨てにしたり食事をもらいに行くときスリッパにはきかえたり、水がないというのはダメージが大きいです。洗濯もできない。
こんな状況でもボランティアしたい方いませんか。ものでなくクオリティーな人間が必要。待っています。
<堤>
堤です。
避難所はダンボールの仕切りがあるだけでプライバシーの確保やていねいに向き合う環境はありません。
先日寝ている方に意識的に声をかけてみました。すぐに起き上がり少しだけ話しが出来ました。家も車すべて流されて兄と2人で車で避難する途中兄だけ流され安否も確認されていない、津波で流され波が引いていく時車が木に引っ掛かり自分だけ助かったと話してくださいました。今いる避難所は知り合いはだれもいないので本を読んでいるか寝ているか、橋も壊れてしまったので、自分の家から離れているこの避難所にいるということでした。
銀行に行きたいが足がないと言うので翌日私の車で一緒に行きました。行き帰りの車の中で2時間ほどひたすら話し震災の体験だけでなく過去の未解決の問題や悔い、心理もスピリチュアルもたくさん表出しました。最後に彼女はひとりじゃないって感じた希望を持って生きてみようそんな気持ちと締めくくりました。
プライベートな時間と空間、人がいればその人の中にある生きる力をもっと引き出せるのに。
出会いに感謝しつつも悔しさやジレンマ忍耐の日々を過ごしています。
4月23日(土)
<宇根>
宇根です。
避難所周りに動きあって夕方から夕食を挟んで21時頃までかけて回るように変わりました。
避難所生活が1ヶ月以上となり日中の寒暖の差も重なり、避難している方々の身体に負担がかかってきています。
ホスピスで指圧や「手当」の経験が有るため、肩のこった方をもみだすと周りから「私も、私も」と希望者は後を絶ちません。皆さんの肩は固く強張って居るのが多いです。固い床の上での生活に加えてストレスが大きな要因のようです。昨晩に指圧した女性は、余震があった時に直ぐに逃げられるように服を着込んで寝るから凝るんだ・・と話してました。
スピリチュアルケアの学びでは良く「挨拶の工夫」を言われて来ました、又は身体の話題から入らずスビリチュアルな領域に直ぐに繋がるようにも言われました、ですが今の私は身体から入ります・・・というか関われる所があれば何処からでもとさえ思って向き合います、そのかわり内面に触れた瞬間は猛烈に神経・心理・感情が働きだします。そして疲れてしまう・・・やはり私が習ってきた向き合い方だけではカバー出来ない現状なのだと感じています。
これから現地に入ろうと考えている方、向き合い方でも無力さを味わうかもしれませんが、ぶれない「私」をもって来て下さいね。そして災害時の心のケアの方法は学んでいないという事実も・・・学び身につけた経験を現地で成長させていかないと行けないのでしょうね。共にこの現実に学ばせて頂きましょう。
<堤>
堤澄子です。
パストラルケアの仕事の中の一つに『時間があること』それがとても大切だと学びます。
朝、避難所で、ボランティアの仕事に入る前に、のんびり新聞を読んでいたら、ひとりの方が『ちょっといい?』とやって来ました。気持ちが不安定でコントロールできない。仕事に行っても泣いてばかり、今まで自分の感情はコントロール出来ていたのにどうしたらいいか分からない。昨日お金をおろそうと思って銀行にいったら窓口で対応して下さった方の対応が悪くて大きな声を出してしまった。いつもの私なら冷静に対応できるのに、大声を出してしまった自分にもショックで、これからどうなってしまうんだろう、そう思ったら怖くなってしまって。泣きながら、そう話してくださいました。
感情が表出することは健全であることや出てきた感情を温かく迎え優しく向き合ってあげること、悲しかったんだね。さみしかったんだね。悔しかったんだね。そんなふうに自分に寄り添うコツ自分と仲良くするコツをいくつか伝えました。彼女は笑顔になり、『そうだね、自分に優しくしなきゃね、じゃあ仕事に行ってくる』そう言って出かけて行きました。
出会いはいつ生まれるかわかりません。いつも心おだやかにウエルカムの余裕を持っていることの大切さを学ばせて頂きました。傷ついた方々に私も支えられ生かされ今ここで生きています。
<堤>
堤澄子です。
夕方避難所で親しくなった方に私から『コーヒーを入れますが一緒にいかがですか?』と声をかけることもありますが、向こうから『今そちらに行ってもいいですか?』と尋ねられることもあり。『どうぞ』と言うとうれしそうにコーヒーカップ持参で来られます。
コーヒーを飲みながら、今日はこんな一日だったとか、こんなこと感じたり考えてたりしてたとか、これからのこと、仕事のこと、家族のこと、行政との交渉や情報、進展であったり、報告であったり、相談であったり、いろいろ話されます。消灯までの貴重なひとときです。
話したいこと聴いてほしいことを言語化することで今日一日の重荷をおろし、安心して心地よい眠りには入れますように。いつの日か心からアレルヤと賛美の歌を歌える日が訪れますように。
今年は被災地で復活祭を迎えます。信仰を分かち合える人もスピリチュアルケアのことを共有できる人もいないこの地で。その意味も問いたい。
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