臨床パストラル教育研究センター

臨床パストラルケアワーカー
災害支援ボランティアの日記
 

 当センターの臨床パストラルケアワーカーでもある堤さんと宇根さんのお二人が、災害支援ボランティアとして現地で活動しているときのメールでの交信記録です。
 ※ この内容の中にご自分が事が書かれている、あるいは心当たりがあると思われる方で、削除をご希望される場合は()までご連絡下さい。

4月
5月
6月

3月29日(火)

<宇根>

私宇根は今日の昼前に被災地に入りました。
 街の状況についてはマスコミで報道されている通り・・でも現実に目の当たりにすると思考が停止するような感覚、感情が混乱するような感覚を覚えます。
 ケアやその方法は、震災前から何等かのケアや関わりを持っているグループと一緒に考えて行く事になります。幸いに招いて下さった方々がスピリチュアルなケアに通じて居る方々で地元にバイブを作ってくれるので助かります。
 明日より取り敢えず、招いて下さった方の関係でプロテスタントの教会で、話を聴く場所を作る所から初めてみようと計画しています。


3月31日(木)

<宇根> 

センターの皆様 被災地に入って2日経ちました。近況報告です。
 まず世話になっているお寺では温かい食事は十分頂けています。必要物資も高野山本部より届いて、今の所は急ぐ物資の供給は必要はないでしょう。
 ケアの提供としては、まず支援活動しているスタッフが精神的にしんどくなり、そのケアに当たっています。また、支援活動に入るボランティアが殆どがDOINGで来るけどBEINGを生きてくれる人、側に居てくれて話しを聴いてくれる人が欲しいとの希望あり、私は此処数日BEINGを生きるよう心掛けています。まずはBEINGを生きれる自分作りが求められているようです。
 教会に心のケアをする人が居る事を広く周知しつつケアを求めて訪ねてくる人が増えていけるには、更なる工夫が要るようです。



4月
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4月3日(日)

<堤> 

神戸から車で約1000km、高速を下りてさらに地道を80km。町全体廃墟となり、余りのすさまじさに言葉に表現できません。
 昨日18時頃着いたのでボランティアセンターは閉まっていました。今日調整します。
失ったものの多さ大きさは計り知れないです。同じく被災しても痛みのひとひだひとひだ違います。
 今日の出会いから被災者同士の中の孤独に触れさせていただきました。被災した方々の痛みではなく被災した〇〇さんの痛みに敏感になることの大切さを感じました。今日何千人もいてひしめき合っている大きな避難所『ひとりぼっち』となんどもはなしていました。集団の中の孤独もみえます。


<宇根> 

避難所に入れる機会を待っていましたが、同じ宿泊所にJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の医療スタッフが居て夜間の避難所に巡回がはじまり、心ケア担当として同行し始めました。就寝前なのでゆっくり話しは聴けないので必要ある方には日中再訪し話しを聴く事が出来るようになりました。
 避難所を管轄しているしている職員には、スピリチュァルなケアの必要までは理解していただけないので医療スタッフとして名札を作り職員に顔を覚えて貰えた事は大きな前進かな、時間をかけて住人にも覚えてもらえるようにもしなければ。
 一人一人の痛みは違うし多いしなので焦らないように丁寧に関わっていきます。街の中の基地でも少しずつ話しを聴く機会も増えて来ています。
 少し疲れを感じ始めているので気をつけないとね。他の避難所も多く、今後も心のケアワーカーがどんどん入れる方法を探っていきます、もっと多くワーカーが入れるために。


4月4日(月)

<堤>

すべてのライフラインは復旧せず。
せいぜいお湯を沸かしカップ麺程度。
顔も手も満足に洗えない。アルコールかウエットティッシュで拭く位。
自炊用に持って来た食材も使えない。
避難所で分けてもらっている。
スピリチュアリティを分かち合える仲間がいないのが一番きつい。
孤独を味わっている。


<堤>

ケアの危機感やニーズをキャッチするアンテナが作動していない。
そのような空気、雰囲気はない。
DOINGのモードに掻き消され呑み込まれている。
壊れてしまってから気づくのかも。
『心のケアが必要』という呼びかけもDOING、物資の一つ程度にしか伝わっていない印象。
気の遠い長いグリーフワークが待っている。
いまうちなる叫びはたくさんあるのに。


<堤>

この町にはたくさんの避難所がありこの施設はその総本部。
ありとあらゆる大きな組織や団体ががっちり入っている。
個人のボランティアが入るすきまがない。
マッチングが上手く行かなければ個人ボランティアが来ても要請待ちで待機の状況。
ほかの避難所では医療以外は外からのボランティアがひとりも入らず被災者だけでやっているところもある模様。
避難所によって待遇も状況も随分違う。
ニーズがあるのにボランティアをコーディネートする人がいないので悪循環。
結局、ある避難所でボランティアリーダーをすることになった。
DOINGとBEINGのボランティアどちらも有効活用出来る基礎をつくれたらいいのかな。


<堤>

ボランティアの仕事を終えてから出会いは始まる。
介護の仕事をしていた女性。
利用者の方を避難させている間に自分の両親を助けることができなかった。
家も両親も職場もなにもかもすべて流されてしまった。
大好きな大切な両親を助けられなかったそれが一番悔い罪悪感を感じている。
介護の世界に入ったらのは将来両親の介護のためだったのに。


4月5日(火)

<堤> 

ボランティアの仕事を終えてから夕方、避難所にいる一人の女性と別の避難所に行ってきました。彼女のともだちに会うためです。両親・家・車すべて流され会いに行くこともできないでいたので、私の車で一緒に行きました。
 会いに行ったそのともだちも両親・夫・幼い一人娘を家ごとすべて流されてひとりぼっちになってしまいました。外出先で地震にあいそのまま帰ることが出来ず連絡もとれず、3日後ようやく戻ったときは家も町もなくなっていました。宝物の大切な娘さんはまだ見つかっていません。母親(祖母)の遺体が見つかったときは孫を抱き抱えているような状態だったようです。必死に守ろうとしたのだろうけど小さいから腕からスルッと抜けてしまったのではないかということでした。
 3週間ぶりの出会いにご一緒させていただきました。
 お願い。私の発信する内容についてコメントしないで下さい。受け取った魂の叫びを仲間に共有したい。癒しのためにともに祈ってほしいのです。つながり支えを頂くことによって彼女たちも私も生きることが出来るのです。


4月6日(水)

<宇根> 

昨日より宿泊場所を街中にある活動拠点に移しました。
 他の多数のボランティア達と一緒に雑魚寝状態。ライフラインは水のみ。但し物資は充足。
 避難所に入っての心のケアには難しさを覚えます。プライバシーの無い中で、どう内面を表出できるか、どう確認をして深められるか・・
 何百人も居て社会的な痛みから心理的な痛み、解決できる痛み等、混雑する叫びの中から、何処に集中するかで出会いが決まってしまう。本当に難しい。
 限界を感じつつ出来る所から・・出合う多く方々は皆頑張ろうとしているし、その中で自分も頑張らなければと言われます、津波で家族を失い家も失う等痛みを覚えつつも・・一種の自己防衛なのかもしれません。時間をかける必要もあるのでしょう。


<堤> 

いろんなサポートがあります。
 ステキだなぁと感じたのは『思い出プロジェクト』がれきの中から写真を拾い集め洗いの作業をして持ち主に返す。とてもやり甲斐のあるボランティアのようです。早く本人の手届くといいですね。
 今日3週間ぶりに安否がわかり家族と再会出来たという方に会いました。両親も、兄弟も大怪我をして治療を受けていたようですが『生きててくれてよかった』と何度も言っていました。
 朝早く出掛け夕方会ったときうれしそうにご両親が写っている3枚の写真をみせてくれました。1日中がれきの山と格闘しヘトヘトになって捜した3枚の写真。聖書の『畑に隠された宝』を発見した喜びを分かち合って頂いたようです。
 人間のスピリチュアルなパワー『にも関わらず笑える』


4月7日(木)

<堤>

好き勝手にやってきたという男性。
父を超えてやろうと思い家をでました。
何年も帰っていなかった。
久しぶりに帰ったら生まれ育った町が無くなっていました。
父に怒られるかなと思いましたが怒られなかったです。
最初顔を見たとき何も言えなくて言葉がでませんでした。
父は一言『久しぶりだなあ』と。
怪我をして横たわっている父がとても小さく見えました。
でも父の存在がこんなに大きいとは思いませんでした。
そして超えてはいけない存在なんだなあと感じました。
だから自分のものより父の思い出の品を何か1つでも見つけてあげたいです。
今回のことで目を覚まさせてもらいました。
家に戻って父と一緒にこの町で復興してみせます。
そう語ってくださいました。
聖書の放蕩息子と父親との出会いと重なります。
父親のスピリチュアルなHUG、無条件の愛を頂いたのだと感じました。
明日宝捜しに私の車を提供することにしました。
お父さんの宝物がみつかりますように。


4月8日(金)

<宇根> 

私が行っている避難所には漁師町の方々が多い。その妻からよく聴くのが〜皆が頑張ってるから頑張らなければ〜です。大変な被害を受けているにも係わらずに・・。
 頑張る周囲のせいで悲嘆に蓋をしているようで、お互いがお互いの頑張りに期待する循環が生まれてしまう感じを受けます。
 避難所と言う集団から離れて話しを聴く等の工夫が求められているかも。
一緒に医療チームとして回って居るJOCSが一つの避難所で自由に使える部屋を確保出来ました。診察部屋だけでなくプライバシーを保障し集団から離れる機会をも作れるのではないかと期待してます。
 またどんどん避難所から内陸の温泉街に避難する方も居ますが、コミュニティが分断されて行く可能性あり不安です。
 避難所から温泉街、そこから仮設、そして住宅・・息の長いケアが要る、今からそのシステム考えないと。


4月10日(日)

<堤>

堤澄子です。
日の出とともに始まり日が沈むと一日が終わる。
発電機でわずかに常夜灯が着く程度。
電気がつくのは夜6時30分から2時間だけテレビもその時間だけ。
避難所の消灯も早くなり8時30分。
だけど真っ暗な夜空に輝く星はとても美しい。
少々不便なことは電波が悪く電波を拾うだけでどんどん消耗すること。
使わなくても携帯は1日しか持たない。
携帯会社が発電機で充電サービスしてくれているのでとても助かっている。
ただし混んでいるので必ず充電できるとはかぎらない。電池のスペアがあれば安心。
みんな必死で充電している。
不便でも困っていることは何もない。
ほんものの出会いを少しずつ頂いている。
スピリチュアルケアのことを知っている人にまだ一人も出会っていない。
見向きもされない。
だからこそ、スピリチュアルな人格を大切にし看護師でもなく一人の人間としてここに身をおくことが意味があるのだと実感している。
みんなDOINGで忙しくしている。魂を受け止める人がいない。


4月11日(月)

<宇根> 

宇根です。難所への夜間巡回から日中に回るように変わりました。
 夜間だと時間の制約がありゆっくり関われません、午後だと時間取れるので有り難い。その分、出会いのチャンスは多くなりますが、向き合う私の日々の質が問われます。
 昨日も家を津波に全て流され大事な大事な宝物を失った痛みを話されていたのを聴きながらも、しっかり寄り添えない自分を感じていました。いろいろスビリチュアルケアとしてすることが多くなってきて余裕が無くなって来たからかもしれない。
 スビリチュアルケアや心のケアが出来る人の補充が必要になって来ました。但し、誰でもという訳にもいかず又キャパの問題もあり、どう呼び掛けるか思案中。
 あせらずゆつくり・・。昨日カトリックのサボートセンタの方々と心のケアに携われる人を今後どのように入れられるか話し合いを持ちました、引き続き話し合いしていきます。


4月15日(金)

<宇根> 

宇根です。
 昨日から疲れが出て独りになる時間を作り自分作りをして、今日は大分楽になりました。
余裕が生まれると出会いが生まれます。今朝は「津波に合い腰までつかりながら3人を助け、4人目の方の手を捕まえるたものの引き上げる力が無く、そのうち手が離れ流されてしまった」「・・周りの者は良く頑張ったからええじゃないかと言う・・でもわしの中では、あの人の顔が忘れられない。死ぬまで忘れない・・」と涙を流して話してくれた男性に出会いました。
涙を「涙腺が緩んでダミダ・・」とこぼした彼が「泣いていいんだな」と言いながら帰る姿に、心底希望が生まれると信じたい気持ちでした。
 毎日が、こういう出会いの連続です。何人も何人も違うスビリチュアルな痛みに苦しんで叫んでいます。
 この数え切れない叫びを長い時間をかけてケアしていく方法が欲しい・・一時的なボランティアが出来た後にも適切なケアが、必要な人に届くシステムがないか切に望む。可能なら地元で被災しつつもケアに感心をもった人を養成し、外部からの支援を受けつつケア出来る人を育てるシステムがないだろうか・・緊急支援時の今から考えないと行けないんじゃないか・・そんな事を日々考えています。
 毎日回っている避難所の一つが18日に統廃合になります、津波で傷ついた心を癒す間もなく次の不安に動揺し、震災で受けた傷の癒しは先送りになった感じです。


4月17日(日)

<宇根> 

宇根です。
 この被災地に入り「心のケア」のボランティアをしてきました。避難所と街中、そしてボランティア基地での「心のケア」担当してきました。しかし、目の前の避難所の方々の叫び、自宅避難所で過ごす方の叫び、そしてそこに関わるボランティアの叫びの中では、私一人ではどうしても限界です。
 それで、この被災地で一緒にスピリチュアルな領域を生き尚且つスピリチュアルな叫びの中でも希望を探して行けるような仲間を探しています。
 関心のある方(認定者が相応しい)連絡まっています。


4月19日(火)

<宇根> 

宇根です。
 ボランティアには多くの方々がみえて面白い出会いから心震わされる出会いとあり不思議さを味わえます。
 基地になっている所が教会でありお寺とも繋がりもあって必然的に宗教者も多いですが。
北海道からきた酪農家との出会いもとても素敵です。40年余り北の大地を切り開き牛を飼い果物を植え地に足をつけた生き方をされている人。なんと彼が、現地にチェロを持ち込み弾いてくれるのです。そのチェロの音色が腹に響くのです、そのうちに何だか心が潤っていくようで・・沢山の叫びと先の見えない不安の中で、私自身も希望を持ちきれないで居たようです。
 たとえどんな状態であっても、希望になるモノを掴んでいないと心は枯れそう。向き合う私自身は揺れない希望の中で、叫び苦しんでいる方々に向き合って生きたい、その変わらぬ希望に繋がる私を生かす方の存在に繋がっていたい、チェロの響きはそれを私に教えてくれました。
 またこの被災地で生きてみたいと力を感じています。


4月21日(木)

<堤> 

堤です。ようやく電気がつきました。しかし本部の避難所周辺のごく一部だけなのでほかの避難所にも配慮して消灯は8時30分。
 水道回復はかなりの長期戦の模様。普通はトイレの後せっけんで流水で手洗いをと呼びかけられるのですが、ここでは手洗い消毒液で擦るだけ。飲料水タンクの水を手洗いに使わないよう注意されます。悪循環でノロウイルスとの戦いに四苦八苦。食器を使い捨てにしたり食事をもらいに行くときスリッパにはきかえたり、水がないというのはダメージが大きいです。洗濯もできない。
 こんな状況でもボランティアしたい方いませんか。ものでなくクオリティーな人間が必要。待っています。


<堤> 

堤です。
 避難所はダンボールの仕切りがあるだけでプライバシーの確保やていねいに向き合う環境はありません。
 先日寝ている方に意識的に声をかけてみました。すぐに起き上がり少しだけ話しが出来ました。家も車すべて流されて兄と2人で車で避難する途中兄だけ流され安否も確認されていない、津波で流され波が引いていく時車が木に引っ掛かり自分だけ助かったと話してくださいました。今いる避難所は知り合いはだれもいないので本を読んでいるか寝ているか、橋も壊れてしまったので、自分の家から離れているこの避難所にいるということでした。
 銀行に行きたいが足がないと言うので翌日私の車で一緒に行きました。行き帰りの車の中で2時間ほどひたすら話し震災の体験だけでなく過去の未解決の問題や悔い、心理もスピリチュアルもたくさん表出しました。最後に彼女はひとりじゃないって感じた希望を持って生きてみようそんな気持ちと締めくくりました。
 プライベートな時間と空間、人がいればその人の中にある生きる力をもっと引き出せるのに。
 出会いに感謝しつつも悔しさやジレンマ忍耐の日々を過ごしています。


4月23日(土)

<宇根> 

宇根です。
 避難所周りに動きあって夕方から夕食を挟んで21時頃までかけて回るように変わりました。
 避難所生活が1ヶ月以上となり日中の寒暖の差も重なり、避難している方々の身体に負担がかかってきています。
 ホスピスで指圧や「手当」の経験が有るため、肩のこった方をもみだすと周りから「私も、私も」と希望者は後を絶ちません。皆さんの肩は固く強張って居るのが多いです。固い床の上での生活に加えてストレスが大きな要因のようです。昨晩に指圧した女性は、余震があった時に直ぐに逃げられるように服を着込んで寝るから凝るんだ・・と話してました。
 スピリチュアルケアの学びでは良く「挨拶の工夫」を言われて来ました、又は身体の話題から入らずスビリチュアルな領域に直ぐに繋がるようにも言われました、ですが今の私は身体から入ります・・・というか関われる所があれば何処からでもとさえ思って向き合います、そのかわり内面に触れた瞬間は猛烈に神経・心理・感情が働きだします。そして疲れてしまう・・・やはり私が習ってきた向き合い方だけではカバー出来ない現状なのだと感じています。
 これから現地に入ろうと考えている方、向き合い方でも無力さを味わうかもしれませんが、ぶれない「私」をもって来て下さいね。そして災害時の心のケアの方法は学んでいないという事実も・・・学び身につけた経験を現地で成長させていかないと行けないのでしょうね。共にこの現実に学ばせて頂きましょう。


<堤> 

堤澄子です。
 パストラルケアの仕事の中の一つに『時間があること』それがとても大切だと学びます。
朝、避難所で、ボランティアの仕事に入る前に、のんびり新聞を読んでいたら、ひとりの方が『ちょっといい?』とやって来ました。気持ちが不安定でコントロールできない。仕事に行っても泣いてばかり、今まで自分の感情はコントロール出来ていたのにどうしたらいいか分からない。昨日お金をおろそうと思って銀行にいったら窓口で対応して下さった方の対応が悪くて大きな声を出してしまった。いつもの私なら冷静に対応できるのに、大声を出してしまった自分にもショックで、これからどうなってしまうんだろう、そう思ったら怖くなってしまって。泣きながら、そう話してくださいました。
 感情が表出することは健全であることや出てきた感情を温かく迎え優しく向き合ってあげること、悲しかったんだね。さみしかったんだね。悔しかったんだね。そんなふうに自分に寄り添うコツ自分と仲良くするコツをいくつか伝えました。彼女は笑顔になり、『そうだね、自分に優しくしなきゃね、じゃあ仕事に行ってくる』そう言って出かけて行きました。
 出会いはいつ生まれるかわかりません。いつも心おだやかにウエルカムの余裕を持っていることの大切さを学ばせて頂きました。傷ついた方々に私も支えられ生かされ今ここで生きています。


<堤> 

堤澄子です。
 夕方避難所で親しくなった方に私から『コーヒーを入れますが一緒にいかがですか?』と声をかけることもありますが、向こうから『今そちらに行ってもいいですか?』と尋ねられることもあり。『どうぞ』と言うとうれしそうにコーヒーカップ持参で来られます。
 コーヒーを飲みながら、今日はこんな一日だったとか、こんなこと感じたり考えてたりしてたとか、これからのこと、仕事のこと、家族のこと、行政との交渉や情報、進展であったり、報告であったり、相談であったり、いろいろ話されます。消灯までの貴重なひとときです。
話したいこと聴いてほしいことを言語化することで今日一日の重荷をおろし、安心して心地よい眠りには入れますように。いつの日か心からアレルヤと賛美の歌を歌える日が訪れますように。
 今年は被災地で復活祭を迎えます。信仰を分かち合える人もスピリチュアルケアのことを共有できる人もいないこの地で。その意味も問いたい。



5月
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5月10日

<堤> 

堤澄子です。
 避難所には全国からたくさんの自衛隊が派遣されてきています。避難所で生活を支える部隊もいれば、がれきの撤去、道路や橋の整備、人命救助や遺体収容、行方不明者の捜索にあたる部隊もいます。ある隊員が『自分たちは第三次で入って来ているが震災直後に入った第一次の仲間はあまりの惨状に感情移入してしまって遺体の数も考えられないほど多く泣きながら遺体の収集に当たったと聞いています。』そう話され、その方も涙を浮かべながら仲間の事を話してくださいました。私が『つらい仕事や出来事ですが、戦地に行かずこんな風に人々の幸せのために働けたらいいですね』と話すとうれしそうに『はい!本当にそう思います!』と応えてくださいました。彼らも時間のある時はこどもたちとも遊んでくれます。皆とても優しく笑顔でアットホームな自衛隊です。生き生きと働いてくださっています。
 沖縄からの部隊が三線を持って来て休憩のとき弾いています。三線の音色が穏やかな雰囲気を作ります。自分たちのメンテナンスも大切にしている事を教えてもらいました。スピリチュアルなセンスに触れさせていただいた感じでした。
 それぞれの働きの場でいのちの重さに触れながら生きています。


<堤> 

堤です。
 GW中ハグハウスの仲間がやって来ました。パストラルケアワーカー3人、研修生1人、毎日たくさん分かち合いができて、仲間がいることがこんなに心強いとは、とてもうれしく孤独の中で1ヶ月間過ごしていた私にとって大きなプレゼントでした。
 また、カリタスジャパンがこの町に入って来ました。私は別のべースキャンプに引越しし、これからはカリタスジャパンと協同していきます。
 うれしい進展があります。少しずつですが被災者の町職員の方が、私がフリーになってスピリチュアルケアに専念が出来るように環境を整えてくださっています。感謝しています。昨日私が担当している避難所に3人に職員を入れてくださいました。3人とも被災者で家族も家も失いました。あいさつをしこれまでの仕事の申し送りをしたり、被災の話しを聴かせていただいたりしているうちに、3人とも涙を流し、「こんなふうに話しを聴いてもらったことがない。みんなこんな風に話しを聴いてほしいと望んでいる。これからは心のケアが必要だと多くの人が感じている。ものでは埋められないぽっかり空いた心をどうすればいいのかみんな悩んでいる。ここにケアをしてくれる人がいるなんてだれも教えてくれなかった。こんなに泣いたのははじめて。こんなにつらいのにこんなに悲しいのにどうして泣けないのか不思議だった。とても楽になった。泣けてよかった。大事なことなんですね。ほかのことはしなくていいから心のケア魂のケアが必要な人の話しを聴いてあげてほしい。」そう話してくださいました。
 長期のボランティアが少なくボランティアリーダーと物資の整理に明け暮れてなかなか心のケアに携わることができないでいたことに対して私だけでなく、被災者の方々も一緒に苦しんで下さっていたことに心から感謝しています。


5月11日

<宇根> 

皆さん、宇根です。
 今日で震災から2ヶ月が経ちました。2ヶ月という長さが、受けた心の傷に優しい時間となる事を願ってやみません。
 昨日、避難所で出会った方は、「避難した当初から他の方々の世話していていて自分が流された家の事、考えていませんでした、だから自分は大丈夫だと思っていた。でも時間がたつにつれ、失ったものへの思いが、どんどん大きくなって行くようで困っている」と話されていました。失った物の大きさを今やっと実感し始めたのかも知れないと私は思い、失った大事な物の大きさを一緒に味わわせて貰いました。 もうひとりの若い女性は母親を津波で流されて居ました・・未だ見つかっていません・・「私、心がおかしくなってきてます、ここでは泣けないんです。泣きたい時に泣けないんです・・泣きたいんです。お母さんが、こいしいんです、お母さん・・・」私は、一緒に居ながら彼女が涙を流す傍らに居させてもらい、いなくなった母親の大きさを味わって居ました。
 2ヶ月たった今、大事な大事なモノを失うという体験をしている方々が、失ったモノをゆっくりじっくり味わえますように。


5月13日(金)

<宇根> 

宇根です
 今日から17日まで堤と共に、一度神戸に戻ります。神戸の自宅の用事を済ませるための一時帰省です。
 被災地での取り組みは、既に長期を見据えたものに成りつつあります、それを可能にするための帰省です。神戸とこの被災地、上手く調整しつつ必要とされる在り方を地元の方々と共に模索していきます。今後とも宜しくお願いします。尚留守中のこの被災地には、東京のパストラルケアワーカーに居て頂けています。
 久しぶりの神戸・・・何だか時間が動き出す感覚を今味わっています、というのもこの被災地では、昨日と今日と明日の時間の感覚しかありません。不思議とそうなってしまうのです・・この被災地に居ると周りでは、過ぎた震災の事柄が苦しいから余り振り返りたくない人達が多く、又、仮設にいつ入れるか解らないで明日以降の望みにも希望を持てない状況の不安を数多く聴き、だからか今日や今を懸命に生きようとするという話が多い。そういう話や出会いを重ねている内に、私自身も時間の感覚がずれていくのかも。加えて日々の活動に精一杯になっていると余計にそうなるのかもしれませんね。私達は時間の感覚を周りのいろいろな事を通して意識していると実感です。
 神戸に戻れる私に時間の感覚が戻って来ているのでしょうが、この感覚の中、しばしの休暇と家族の絆をも確認したいと思います。


5月20日(金)

<宇根> 

宇根です
 神戸からこの被災地に戻って来ました。早速活動に入っています。避難所を回って、ここ数日だけで多くの方々が仮設に移動していったようです、また津波にあっても自宅が残っている人は自宅に戻るように言われて帰っていったと言う話しも聞きました(真意は定かではないですが・・)
 ボランティア基地になっているある施設に設けた喫茶コーナーが、ここ数日とても賑わっています、連日30人近い方が足を運び、お茶を飲んだり、話しをしていったり、愚痴をこぼしたり・・と、街のホットステーション的な役割を担いつつあります。先日は、近隣の方が届いたタオルを箱から出し並べる作業をして帰って行きました。単に支援を受ける側だけを生きるのではなく、役立つ側を生きたいと言う思いが有るようです。「わたしは、ここに来て救われたよ」とある婦人は話して居ました。来れる場所がある、またあいましょうと言ってくれる人が居る、そして自分の事を大切にしてくれる人達が居る・・被災地での心のケアの取り組みの一つは、そういう事を味わえるようにする事でもありました。だから、毎日喫茶コーナーに足を運んで来る方々が、少しずつ変わって行く姿に私達は一喜一憂しています。そして、その変化の中にキラリと光るその人のスビリチュアリティーがきっと有ると信じています。
 これからもこの被災地を宜しくお願いします。


5月23日(月)

<宇根> 

被災地から宇根です。
 被災地の街でもまだ行方不明の方は多く毎日ご遺体があがる状況のようです。今日久しぶりに再会し出会ったお母さんは別れた夫を探しに街を離れ近くの沿岸地域に1ヶ月近く行っていたとの事。「娘が未だ諦めていない・・・毎日仕事しては仕事後お父さんを探しに出かけている。何処に居るか解らないけど探している。娘が諦めないから、私も付き合おうと思っている、彼女が諦めるまで・・・」と話してくれました。震災から経って居る日数を考えると、今だに?と、周りの人は思うだろうけど、娘は別れたお父さんには11年も会っていなかったからだと母親は教えてくれたのです。娘さんにとって会えてなかった11年の何かを、何とか埋めたくて探し続けているように感じましたが、いかなる理由が有るにも諦めない娘さんを責めもせず、同じ様に付き合い続けるお母さんの、娘さんに持つ愛情が良く伝わる事を伝えると、泣きながらも、「例え別れても大切な人の命だもの・・・見つかっても誰も引き取れない。せめて自分が」と言われてました。お母さんの、命に向き合う思いに頭が下がる私でした。
 今でも流された家族を探す、被災地の人との出会いに人の思いの深さを感じます。


5月27日(金)

<宇根> 

被災地の宇根です。
 最近、毎日避難所まわりをしていると仮設入所への希望が少ないだけに、怒りや不満を多く聞きます、避難している方々の辛さが日毎に増えて行くのに心痛い日々です。
 そんな中、昨日ある避難所でいつも出合わせてもらっている夫婦の所に行った時でした、お母さんが「今日は良い日なの、大安。マグロの刺身を買ってお父さんと二人で食べたの」と満面の笑顔で話しだしました、何の良い日だったのか尋ねると「CDラジカセが壊れてしまった、捨てようとおもったけど修理に出したら直るかもしれないと主人が自転車に乗せて運んだ。道がガタガタでCDがあっち行ったり、こっち行ったり・・そしたらなんと店に持ち込んだらCDがチャントなりだしたの」お母さんもお父さんも笑いだし、何度も何度も直ったCDラジカセを指差しながら、腹を抱えて笑うのです。何だか私も二人に吊られて、その仕草におかしくて、イッパイ笑わせて貰いました、笑って笑って・・・。
 お陰でストレスで血圧が上がって居る二人とも計らずに終わってしまいました。家ごと流された二人が、見つけた小さな「マグロ付きの大安」です。こんな話題でマグロ、買って喜んだ事、最近無いな・・・。


5月28日(日)

<宇根> 

被災地の宇根です。
 ここに入って来た頃に出会い、いろいろ話をしてくれる地域のおじさんがいます。お店の経営者ですが、店は津波で壊滅。店内には物が散乱し壊れた冷蔵庫の上に何故か車が乗っかっていました。
 その店をちょっとずつ片付けては再建に望みを託していました。おじさんはいつも元気で「これからは、心のケアだよ、難しくなるぞー」と話してくれていました。
  そんなおじさんが肩を落として話しに来ました。「だめだ、もうええかげん辛い」とこぼし、話しなじめたのは、「震災で助かった友人の葬式に行って来た。せっかく助かった命なのに・・店を立て直して商売再開して4日だよ倒れたのは・・わしに会いたいって何日か前に訪ねて来てくれたらしい・・・あの時会っていたらって悔やまれる。彼もがむしゃらだったんだろ。とにかく再建した店を続けなきゃって思ってたんだろ、立ち止まれないんだよな。何かをしないでは先に進めない、かといって先は見えない。でも、それでもやりださないわけで止まってられない・・・わしらみたいな商売人には、明日も無い。勿論昨日なんて無い、今日だけなんだ。今日と言う時間だけ、せめて今日に目的もてたらいいけど・・・」と。話してくれたおじさんはため息ついていました。
 おじさんに、何か目的を探せたら良いねって言うと「そうだな、今はのんびり、ゆっくり、そして楽しくかな」と何時ものおじさんの笑顔になっていました。
おじさんの店の再建を一緒に見てみたいな。



6月
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6月2日(木)

<宇根> 

被災地の宇根です。
 被災地市内の大きな仮設に物資を届けることを最近続けています。全く始めての出会いからも、とても心揺さぶられるものを頂けます。
 先日出会った母親は家はもちろん、車も他の財産も無くしていました。夫か漁に使っていた船も流されてしまい収入源の見通しも建たない状況を教えてくれました。学生の子供を含め家族は無事だったらしいですが、失われた物の大きさにうちひしがれつつも、「今、こうして皆さんからいろいろ頂きながら生きることができる、本当にありがたい。でもね、数年後には必ず漁を復活させるからね、そして必ず美味しいウニを採って皆さんに食べてもらって恩返しするからね」と本当に心強く話してくれるのです。私は何がそこまでお母さんを前向きに生きさせてくれているんだろうと思って聴いていると、教えてくれました。
 「息子が波にさらわれる直前で助かった。たった一つ流されずに手もてに残ったものは高校の息子のカバンに入っていた理科の教科書だった。息子が『好きだった理科が残った、やっぱり俺は学者になる、学者になって母ちゃん、父ちゃんを楽にする、だから何処にも行かんでいい、此処でまってろ』って話してくれた。だから息子の望み通りなるよう何とか一流の大学に行かせる。そして待ってる。そしたらきっと又漁も出来てきっとあなた達に恩返しが出来るんだ」
 何年先になるか解らない恩返し。でも母親は息子を信じてました、そしてその信じる気持ちが生き生きさせる力を生み出していました。
 私は「待っています」と心底思い伝えました、何年も先の恩返しを待つつもりです、全国の皆さんも美味しいウニ、待っていて下さい。


6月5日(日)

<宇根> 

被災地の宇根です。
 これまで被災地の子供達についてはあまり報告していません。色々出会いはありましたが、最近被災地の喫茶コーナーに来るようになった若いお母さん達の話しを聞いた幾つかを報告します。
 あるお母さんは、幼い我が子が、オモチャの車を一つ一つ並べては、一つ一つ横に倒して遊んでいると教えてくれました。それを見ていたお母さんは、地震後の街で車が至る所でひっくり返るのを見たりしたからじゃないかと案じていました。それを側で聞いた別の母親が、自分の子も同じ事をしていたので、倒した車をお母さん自身で「なおるからね」と言いつつ車を起こしていったそうです、私はなるほどと感じました。別の母親は「子供の手を引いて街を歩いていると、壊れた家を指して『あっちで誰か死んだの?』って聞かれて、どう答えたらいいのか困った・・・とも話してました。また別の子供は壊れた家に点いた、赤いバツ印しを指して「あれ何?」と聞かれても答えられず困っているとの事でした。子供達は、感じた事を知っている知識を言葉にしているだけでしょうが、それを見たり聞いたりする母親が、どう対応したり受け止めたりしたらいいのか困惑しているようです。
 そのような話しの中から、一度若いお母さん達の為に、ミニ講習会員のような事を企画しようという事になりました。子供達に向き合う周りのケアの一つになったらと願っています。でも次のような出会いも未だあります。
 3歳の男の子を持つ若いお母さんが、「家にいた息子と主人が流された。義理の両親が流されて死んだ。主人は息子を抱き何とか津波から抜けだしズブヌレで、2人で過ごして助かった。息子は義理の両親が大好きだったのに、何も言わないし、決して泣かない。息子なりに頑張っている・・・だから私は泣けない・・・」と話してくれた、アイコンタクトで向き合っていると、母親から涙が溢れだしてきて・・・息子が泣いてもいいように、お母さんがしっかり自分をケアできるように関われたらいいのですが。


6月6日(月)

<堤> 

被災地より堤です。しばらく近況報告・活動報告ができず申し訳ありません。3カ月目に入り、さすがに慢性疲労気味で疲れが取れにくくなっています。しかし、少しずつ実りが見られつつあります。
 @5月後半より、避難所の本部に泊まり込んでいます。心のケアのためにここに居てほしい、泊まってほしいと依頼を受けたのと、自分自身もレポートを書いたり、勉強の準備をしたりするために、自分自身のメンテナンスのために、雑魚寝の部屋しかない状況での活動は続かないと思いったからです。
 Aケアルーム誕生。当初から安心して話せる場所、泣ける場所が必要と訴え続け、ケアのための個室をいただきました。一人一人とていねいに向き合える場所ができて感謝です。
 Bさらに避難所では泣けない。ゆっくり話したり、憩える場が長いためカフェの提案をしたらすぐにOKがでて、避難所になっている高校の教室前の廊下の一角(カフェストリートのような感じ)を使わせていただくことができました。ただのカフェではなく心の隠れ家的な空間で、話をしたり泣いたりボーッとしたり出来るところです。ここで泣いてもあたたかいまなざしでそっと包んでくれる空気が生まれます。もっと深く内面に触れるときは場所を変えて個室でケアをします。上手に使い分けをしながら。


6月11日(土)

<堤> 

ケアカフェを始めてから、毎日通う人、日に2〜3度来られる人、一人で来る時もあれば、友達を誘ってくる時もあり、楽しくおしゃべりする日があったり、静かに過ごす日もあり思い思いに利用して下さっています。ここに来ると何かわからないけど、涙が出てくるとか、避難所に居ることを忘れてしまいそうな感覚を覚えた、と話してくださる方もいます。Beingの空気、スピリチュアルな配慮を感じ取るのでしょうか。少しずついやしの作業をしていただければと思います。また、少し前に、一人の女性から、姉が津波で流され、幼い子どもには何も伝えていない「ママいつ帰ってくるの?まだ帰ってこないの?」と毎日聞かれ、行くと泣いてしまうのでつらくて会いに行ってあげることもできない。いつかは伝えなければならないがどうしたらいいかわからないと泣きながら相談に来られました。
 その数日後に、義兄であるその子どもの父親と祖母に会い、気持ちや思いを確認し、真実を伝えることに大切さを確認し、そのための準備をしました。今日は震災から3カ月、子どもにお母さんが亡くなったことを伝えることができました。つらかったけど、胸のつかえがとれてホッとしました。そう報告に来て下さいました。これから彼らが心を合わせ支え合って生きていけるようお祈りください。よろしくお願いいたします。


6月13日(月)

<宇根> 

被災地の宇根です。
 先日メールしました、幼児が居るお母さんたちから見えてきた課題。幼い子供達が表現する言動にお母さん達が不安を感じたり、どう接したら良いのか解らないと訴えていました。その要望に応える為に講師になれる人を探していたら、子供病院の心のケアで働く方が来てくれ、早速喫茶コーナーに来た子供達と遊び、お母さん達の話しを聴いて相談に乗ってもらいました。そのワーカーから教えて貰えたのは、『子供達は遊びながら解消していく、周りに居る大人はその遊びに加わっても遊びの主導権は子供に。地震ごっこが始まっても慌てる必要はないが、地震ごっこにも何か大人からアイディアを提供して見ると良い』と。実際、喫茶コーナーに来ていた子供が、津波に揉まれるような遊びを始めました。ワーカーも一緒に遊びながら、波に揉まれる「○○チャンたすけようね」と抱きかかえ揚げてました。別の子供が、津波に揉まれている子の所で、色々な物を投げ入れてきて周り中物に溢れ、街のガレキのようになった。そしたら、ワーカーが片付けを提案すると、今度は片付け遊びに変わって行きました。
 子供達の遊ぶ力に、大人のアイディアを合わせて行く、そこから成長に繋がる遊びか生まれていく・・・震災の跡にも、豊かなアイディアが力に繋がると実感しました。喫茶コーナーに一緒に来ていたお母さん達も、大きなヒントを掴んだようでした。今日も地震ごっこをしおわった女の子に「助かったの?」と聞くと「うん、あー疲れちゃった」と笑いながら元気に返事が返ってきて嬉しくなりました。
 少しずつですが、若いお母さんと子供達へのケアの道程です。


6月16日(木)

<堤> 

 被災地から堤です。徐々に仮設が完成し、避難所から仮設への移行が始まっています。仮設に入ると自立とみなされ、物資の支給や食事の提供など、さまざまな支援は止まります。義援金の支給も進まない状態で、お金が無い、仕事が無い、車が無い、お店が無い、買い物にも行けないなど、それぞれに不安や戸惑いが広がっています。それ以上に、危機感を感じているのは、内面のケアのことです。避難所生活が長くプライバシーのない生活でありながら、大勢でいる安心感や支え合いがあった半面、仮設へ移れば、また元の家族での日常の生活が始まります。プライバシーが保たれると同時に、小さなスペースでの世帯ごとの生活は不安や心細さから別の意味のストレスが生まれる可能性もあります。
 家族が欠けたひともいれば、ひとりぼっちになってしまった人もいます。そして被災前の未解決の問題を抱えている場合は、震災による新たな課題や苦しみも加わり、仮設で生きるために何倍ものエネルギーが必要になります。その心構えは十分ではないと感じています。そこで避難所で「心のケア」に焦点を当て、「仮設に移る前の心の準備」と題しミニ講座を2回実施しました。今回は大人だけですが、子どもたちや中高生のためにもする予定です。遺体を運ぶ仕事に携わった男性たちのPTSDのことも心配なので早めに計画したいと思います。全体で話をし、必要な方には個別で対応するようにしています。ひとりも自殺することがないよう、引きこもりや孤独死にならないようにSOSを出しやすいような環境や関係をつくっていけたらと願っています。


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